節目の季節


高校の後輩のTokkyからのメールで長谷川先生が退職されることを知った。先生は高校時代の恩師で、もし先生と出会わなかったら文系の大学には行っていなかっただろう(いや、男子校だったから、やっぱり文系だったかな)。中学生の頃は「数学の先生」か「建築士」になりたいと思っていたし、算数/数学は小学校1年生の3学期から通賃簿は『5』以外取ったことが無かったので(小学校の3学期から5段階評価だった)、自然とそう考えていた。高校受験の頃も、「国語の文章問題で、『---線の作者の気持ちを答えなさい』なんて本人に聞いてみなきゃ分かんないだろう」と思っていたし、文系でも特に国語の曖昧さは本当に性に合わなかった。


高校に入学して、先生は現代国語を担当していて、週に何時間かは先生の授業あった。この授業が本当にユニークで、ほぼ一年間『作文』の時間だった。毎時間、黒板にテーマを書いて、そのテーマに沿ってxxx文字で書く、という作業を延々とこなす時間だった。さすがに飽きた頃には「マンガを読んで、『なぜそのマンガを選択したか』をテーマとして書こうよ」と提案して、そんな授業の時もあった。ちなみに僕は『日当たり良好』を持っていった(いや、よく覚えているもんだ)。高校の前の公園で授業中に野球をしていた時もあった。ただし、公園から出る時に百人一首を一つそらで言えないとダメ、という正規の授業として。


"陽あたり良好! (1) (小学館文庫)" (あだち 充)


2年生の時には、現代国語の半年の時間を費やして『修学旅行に行くべきかどうか』というディスカッションをクラス別にやりながら、先生が取りまとめをする、という授業もあった。まず『行くべき』か『やめるべき』か、からスタートして、場所、目的などを話しあっていく。本音は理由なんてどうでもよくて、できる限り正当な理由をつけて行きたいところに行けるように必死になって知恵を絞っていた。


普通に考えれば現代国語の授業としては問題があるのだろうが、社会人として20年以上過ごしてきて思うのは、これらの作業(授業)は本当に役立っている、と本気で思っている。当時はどんな思いでこれらの方針を決められたのか分からないが、相当勇気がいる決断だったと思う。そして、ネットの普及によって『言葉』によるコミュニケーションスキルが過去よりも重要になってしまった。


2月末には内輪で送別会を予定しているので、この辺の本音はその時に聞いてみたい。多分、その時にはここに書いた話はするだろう。でも、こんな会話ができる関係でいられるのは幸せの限りである。