#abk1_1 概念モデルという考え方 『誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論』 D.A.ノーマン




"誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)" (ドナルド・A. ノーマン, D.A. ノーマン)


長谷川恭久さんが立ち上げた「Automagic Book Club」に乗っかってみよう、ということでD.A.ノーマンの『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』を読み始めた。毎週一章ずつフォーカスして読み進める読書会は深く掘り下げて読むにはいい手法だな、と感心しながら提示されたペース配分で読み進めることに。ちょっと通常のレビューとは違うのでご了承のほど。


 


今週の課題である第一章「毎日使う道具の精神病理学」では本書全体のテーマへの投げかけから始まる。ホテルのスイングドアを例に利用者が意識せずに求められる動作(この場合はドアを引くのか、あるいは押すのか)ができるようにデザインによる可視性について言及している。本書では支軸部分を見えるようにする、取っ手部分を縦位置/横位置にして自然な動作を促すなどメッセージ性を高める必要がある、と説く。デザインの仕事をしているわけではない僕の見方でいうと、この法則は必ずしもドアだけに実現しなくてもいい気がする。実際にドアにデザインというか細工を施しているものもあれば、足下に矢印などを付加しているケースもある。ここで考えないといけないのは、何でもかんでもユニバーサル的な思考で考えすぎないことも重要だ、ということ。つまり想定利用者である。なぜならどんなものでもコストとそのサービスに対する対価という経済的制約の中で意志決定する必要があるからである。ドアの取っ手のところにいくら工夫をしても車いすの人には無力である。これはイレギュラーとしても、そのドアを通る人の量が非常に多い場合、「そもそもスイングドアでいいの?」になるだろうし、利便性ではない違う意図でスイングドアにすることもあるだろう(その中に入ったことを敢えて意識させるため)。


そう考えるとデザインという「結果」のためには「誰に、何を、何のために」を十分に検討した上で、本当に使って欲しい人(あるいは使うだろうと想定した人)にとって有意義な結果が得られるか(このドアの場合には意識せず、スムーズな動作で(ドアの開閉という)目的を達成できるかどうかが大事な点だと思う。


さらにいえば、デザインした人にそのフィードバックが得られるようになっていれば最高だろう。


 


もう一つこの第一章の中では触れておきたい点がある。『概念モデル』という考え方である。アフォーダンスと制約、そして対応づけから目に見え、機能をシミュレートできるかどうか。ここでは多機能なビジネス電話機を挙げ、酷評しているが僕を含めてこの箇所で思わず笑った人は多いだろう。特に外資で海外製のビジネス電話機を使ったことがある人は大きく頷いたかも知れない(僕もその一人だ)。


同じようなことが僕のAndroidケータイでもいえる。iPhoneの共通UIに慣れた僕の思考にはAndroidケータイのレイヤー(ウィジットとアプリ)で同じボタンを押してメニューが違うことに非常に違和感を感じた。これはデザインとしてはあり得ないと思っているんだけど、Androidフリークには特に違和感が無いようである。でもここをちょっと工夫するだけでコールセンターの人員の数と対応時間は確実に減らせる(あるいはショップのスタッフの数か)はずである。概念モデルが容易に描けない製品やサービスは実は間接的な損失を出している可能性があるともいえるのではないだろうか。