『見えるもの』に惑わされない、という考え方

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今日は親父の70歳の誕生日でもあり、奥さんも実家に用事ができてしまったので子供たちを連れて僕の実家に行くことにした。


 


数ヶ月振りに実家に寄って、親父に今の会社を辞める話をしたら意外とアッサリした返事だった。『自分でやったらいいんじゃないの?』という反応。うちの親父は事業主でもないのに(確かに親父の実家は商売をしていたけど)・・・。理由も聞かずにこういう反応だったことには僕の方がちょっとビックリした。どこかで組織の中で仕事をするのは向いていないと思っていたんだろうか。


 


過去に於いて、親父との関係は必ずしも良好だったわけではない。きっとこれは誰でもあることだと思うけど、中学〜大学前半ぐらいまでは親父とはほとんど口をきかないような生活で、その距離感が縮まったのは化粧品会社時代に支店の立ち上げをした時だろう。転勤で仙台に移り、直営の美容室、エステサロン、皮膚科クリニックの運営に東北六県の営業管理とこなさなければいけない仕事は山積みだった。


この時のスタッフは全員現地採用で、採用〜教育までも同時に行わなければならず、物理的よりも精神的にはかなりしんどい時期だった。そんな中で自分が採用したスタッフにクビを宣告しなければならず、その前日の晩に実家に電話して親父と話したことが関係を変えたタイミングだった。考えて電話した訳ではなく、無意識のうちに電話してい『自分が一番下の時には上司は全然理解してくれないって思っていたけど、上司の立場の方がどんだけツライか』とグチったところ、うれしそうに『ようやく分かったか』という返事で、その言葉を聞いてどれだけ気持ちが救われたか、今でもその時のことを鮮明に思い出せる。


 


うちの親父は目に障害を持っていて明るさは分かるものの視力はほぼ失われているため、TVの映像や新聞や本などの活字から情報を得ることができない。TVの音声、ラジオからの内容、そしてお袋が読み上げる多少の新聞情報ぐらいが親父の情報ソースになる。つまり、ネットなんてものは全く無縁の代物で、著しく限られた情報しか得られない。が、会話をしてみると全く支障がない。今回も『民主党党首はどちらがなるべきか』と突然振られ、僕が『小沢さんかな』と答えるとニコニコしながらその理由を聞き出す、という一幕があった。この件に関しては意見が一致して、メディアが伝える情報が一方的(限られた層へのヒアリングしかしていないにも関わらず、全体を示しているような表現)であり、その問題点も対処方法も明確に答えていた。親父は中学しか出ておらず、その後は職人の道で仕事をしていたので全く知識に触れる機会は少なかっただろう。更に随分と昔から視力をほぼ失っているので、その後に入手している情報も限られている。


つまり情報の量や質以上に自分自身でよく考え、そして考え抜くことが重要だということが分かる。情報のインプットだけではなく、紙も含めてアウトプットして記録することもできない環境のため、記憶力は凄まじいものがある。逆に僕らは見えるものに惑わされすぎているのかも知れない。


誕生日のプレゼントは『31』のアイスクリームという些細なものだったんだけど、美味しそうにそのアイスを食べる親父の姿が何とも微笑ましかった。今もなお、刺激を受け、学ぶことがある。『見えないこと』が完全に強みになっている。