日本の田舎をミステリーに料理するとこんな感じだろうか 『罪深き海辺』 大沢在昌


"罪深き海辺" (大沢 在昌)

かつて漁業で栄え、今は寂れた町。漁業を別のものに置き換えれば日本のあちこちにありそうな、そんな町が今回の舞台。今では何も「売り」が無いような町にも古くからある地場のヤクザがいて、そこに全国組織の新しいヤクザが入り込んでいる。大組織は表だって金看板を掲げず、所謂フロントと呼ばれる企業の顔でキャバクラやアミューズメント施設、ホテルを運営する。大きなマリーナを第三セクターで造ったものの、人も船も集まらず、その借金で財政を圧迫されている市長にとってそのフロント企業は重要なポジションになっている。そんな田舎を絵に描いたような港町に一人の男が降り立ち、それが起因してそれまでのパワーバランスが壊れ始め、過去の出来事が綻び始める。

その港町には2つの大地主がいて、そのうちの一つ干場家の当主が6年前に突然亡くなり、多大な土地は遺言状によって市に寄付された。それは干場家には跡継ぎはおろか、血縁者が存在しなかったためで、その遺言はもう一つの地主である勝見氏が執行した。勝見氏はその港町唯一の弁護士だったからである。そして、降り立った男は干場功一と名乗り、干場家ゆかりの人物だった。

 

6年前の干場家当主の突然死に疑問を抱くものがいなかったわけではない。が、そんなことを口にすれば、それはその町での生活を捨てることを意味する。人の流動がほとんどなく、限られた権力者で運営されているコミュニティではその権力者の意志は絶対である。だからこそ変化に乏しく、癒着などが自然と発生する。干場功一と名乗った男が自分の縁者と思われる干場家当主について聞き歩くことで、6年前の疑惑が再浮上し、それに伴って次々に事件が発生する。そして疑惑が解き明かされていくにしたがって、思いもよらない事実が判明し、そして最後は予想をはるかに越えた結末を迎える。

 

本書の魅力は現代の日本に存在する多くの田舎をモチーフにしながら、日本的な精神構造と経済論理で人が動く部分を利用しているところだろう。日本的な精神構造をミステリーに利用する部分では横溝正史の作品を思わせるところもあるが、著者は大沢在昌氏なので完全にそれをエンターテイメント小説に仕上げている。だからこそ、フロント企業の専務をしている柳(実際には本職なのだが)のキャラクターには「夢」を語らせ、壮大な悪の絵を描きながらも「夢」を持ち続けてさせている。

 

この長編小説の根っことも言えるテーマを老刑事が通うバーのマスターの言葉で表現している。

「街の人間は、田舎に平和を求める。田舎の人間は逆だ。刺激に飢えているんだよ」

著者の大沢在昌氏が釣りによく行くと言われる勝浦でもそう感じたのだろうか。