丁寧な描写が読者を捜査官にする 『捜査官』 末浦広海




"捜査官 (講談社文庫)" (末浦 広海)


 


このレビューを書く前にさらっと他の人の反応を見てみたら賛否両論だった。原因の一つは文庫に付けられた「帯」の言葉のようだ。幸い僕は電子書籍だったので、この帯を拝むことは無かった。たったこれだけの違いでも読後の印象が変わるんだなあ。


 


(継続して読み続けるような)新しい作家に巡りあうのはある意味奇跡に近い。年にひとり見つかれば御の字だろう。amazonに限らずどこのネット書店を見ても「これでもか」というぐらいレコメンドの押しつけがあり、リアル書店に足を運んでも邪魔なPOPが所狭しと並べられている。僕にはこの視覚情報だけで食傷気味になるので、足を運ぶ書店は自然とPOPがほとんどないところだ。やはり一番は周波数の合う友人のおすすめだろう。


しかし、この作品の著者「末浦広海」の作品は読んだことは無かったが、乱歩賞受賞後第1作のひと言で読むことを決めた。タイトルが「捜査官」という直球な言い回しに好感が持てたのも要因の一つかも知れない。余談だが、ここのところ所謂「警察小説」があまりにも多い気がする。


 


さて、本書だが非常に良質の作品で、特徴は「丁寧さ」だろう。奇をてらった感じはなく、トリックやミスディレクションを誘って読者を煙に巻くような作りではない。細かな描写を積み上げ、それはまるで「捜査とは地道な積み上げ作業なのだ」と言わんばかりの文章が綴られていく。この部分は理系的なアプローチ。


一方で、この手の描写の積み上げだけではエンターテイメントとしての魅力に欠け、読者を満足させることは難しいが、そこは上手な工夫を施している。


舞台を青森県の田舎町としながらも、警察庁のキャリアを登場させる


核施設を持つ青森県で「原子力のシンポジウム」開催を設定し、テロを絡ませる


警視庁のキャリアはかつての上司の息子で、上司の死と今回の事件をシンクロさせる


つまり、メインの登場人物である所轄の警部補は地味に事実の積み上げを、キャリアの警視正には枠を越えた発想(文系的なアプローチ)をさせ、2つの視点で物語を進行させている。またキャラ作りにはそれぞれの言動や行動で色付けをし、安易に過去のエピソードでキャラを特定するような手抜きをしていない。


さらに参考文献のページにはエンターテイメント小説らしからぬ数のタイトルが並んでいる。想像するに、相当な時間を費やして細かい部分を描いていると思われる。プロの作品である以上、努力だけで評価に値する作品になるわけではないが、この作品には技量が掛け合わされて読者を裏切らない仕上がりになっている。「丁寧さ」はそのまま読者の眼となり、読者自らが「捜査官」として事件を解決に導くだろう。


 


*この作品は電子書籍で読みました。

担当編集者に頑張って欲しかった… 『クローバー・レイン』 大崎梢




"クローバー・レイン (一般書)" (大崎梢)


 


う〜ん、好きだから(作家がね)及第点をあげられません。やっぱり彼女の真骨頂は短篇なんだと思う。でも作品の仕上がりは内容も含めて悪くないし、多くの人の読んでもらいたい作品でもある。でもねえ、丁寧に描いて欲しいところがあっさりしていたり、ここまで繰り返さなくてもいいような部分が繰り返し登場したり、って印象を受ける。その辺は本来、編集者の技量というか仕事なんじゃないのかなあ。


 


この作品の主人公は29歳で大手出版社の文芸編集部に勤める若者。裕福な家に生まれ、高校も大学も、そして就職も望むところに落ち着き、いわゆる挫折知らずでこれまできた。ふとしたきっかけで過去に新人賞を受賞しながらも「過去の人」になってしまった作家の原稿を読み、その原稿を出版すべく奮闘する、というのがメインストリーム。その中でいつの間にか上から目線というか、大手の論理で価値判断をして仕事をしていた自分に気付かされる。


 


出版社や書店内情に詳しい著者だからこその描写はあちこちに出てくるものの、なんとなくそれが活かされていない。この作品だけを読めばそうは感じないのかも知れないけど、「成風堂書店事件メモシリーズ」で著者の技量を知っているとなんとなくもどかしい。短篇は文章の量に制限があるからこそ、言葉も中身も取捨選択を迫られ、輝きを与えられるけれども、この作品にはその精彩がない。だからといって、作品がつまらないわけでもない。


 


もし僕が担当編集者なら主人公目線の文章を抑えて、他の登場人物のエピソードをもう少し丁寧に描いて最後の部分で合流させるような形で修正してもらうかなあ。ラストシーンは流石に上手い仕上がりになっているけど(うるうるきたし)、ここを描くだけなら短篇で済むはず。やっぱり100M走るのと3000M走るのは走り方の考え方は違うよね。そこが納得できない点だろうなあ。それから、編集者を描きたかったのか作家を描きたかったのかが中途半端に盛っちゃったのがいけないのかも。言葉では大変な様子が書かれているんだけど、大変さが伝わってこない。ここを乗り換えないと埋もれちゃう危険がある。頑張って欲しい。

僕が子供の時に欲しかった 『親子で学ぶ数学図鑑:基礎からわかるビジュアルガイ』 キャロル・ヴォーダマン




"親子で学ぶ数学図鑑:基礎からわかるビジュアルガイド" (キャロル・ヴォーダマン)


 


この書籍は『本が好き!』から献本いただきました。


 


質問1 「小学生のお子さんがいらっしゃいますか?」


Yesなら次の質問に。


質問2 「お子さんは算数/数学に強くなって欲しいですか?」


Yesならこの本を購入してください。


もし僕が小学校2-3年生でこの本に出会っていたらきっとずっと眺めてますよ。「ホントに?」という声に回答しましょう。


 


少し昔話を。


保育園の時には既に数字は好きだったなあ。毎週じゃないけど土曜日の夜に親戚の叔父さんが来て、一緒に花札で「おいちょかぶ」をやるのが密かに楽しみだった。元手はお小遣いとお年玉(もう時効ですよね?)。札を捲る一瞬で数字を計算し、表情は変えちゃいけない。その時間はコンマ何秒の世界。さらに判断をしないといけない。小学校に上がる前の僕の一部。


小学校になると3年生の夏から珠算をはじめ、自然と数字の特性を頭ではなく身体で感じるようになった。珠算というか和算は「5」や「10」という計算しやすい数字を基本とする。だから、「4+8」は「4-2+10」という動きになる。考えて指を動かすわけじゃない。指先に計算してくれるこびとが宿っている。だから今でも、頭の中で25x25を計算する時には50x50の半分の半分という計算している。


 


でも算数/数学は四則計算だけじゃない。だから、この本はさすがに「事典」なのでテーマ毎にまとめられている。テーマは次の6つ。



  1. 幾何(図形)

  2. 三角法

  3. 代数

  4. 統計

  5. 確率


さらに、絵や図版がたくさんあるので小学校の中学年以降であれば無理なく読み(?)進められる。まずは「数」からね。ページを捲ると「数は何?」ってところから始まる。数といっても整数、奇数、偶数から素数、フィボナッチ数(後ろの方に詳しく出てくるよ)と興味深い整数はいっぱいある。ちなみにうちの娘は小学校三年生の時に僕と順番に素数をどんどん言い合うゲームをしていた。


でも、やっぱり好きなのは「代数」かなあ。方程式とか関数とかって話よりも、ものごとを抽象化することや違うものに置き換えて説明するシーンっていっぱいあるじゃない。きっと中学生の頃に解の公式とかを覚えたと思うけど、公式を覚えることが大事なんじゃなくて考え方を理解することが大事。たとえば、3a=2bって式があったとすると、「3a」と説明して相手に伝わらなければ「2b」って説明してもいいわけ。ね、普段の生活の中にゴロゴロしているでしょ。


それから「統計」のところは大人もしっかりチェックした方がいいよ。世の中の情報の多くは平均で語られることが多いけど、平均だけが代表値じゃないから。最頻値や中央値が重要なこともこの本の見開き2ページを見れば腑に落ちるはず。


 


この本って受験勉強とも違い、TVやネットの話題じゃなくて親子共通の話ができる。それだけじゃなくて、「(相関を例にすれば)じゃ、身の周りで相関がありそうなものを検証してみようか」とか「どこかのビルの高さを測るにはどんな方法がある?」ってクイズにもなる。きっと身の周りの見え方も変わるし、普段からアンテナの感度も違ってくるはず。どう?読んでみたくなった?

山場がないのに最後まで引っ張られる魅力 『田村はまだか』 朝倉かすみ




"田村はまだか (光文社文庫)" (朝倉 かすみ)


 


そう言えば小学校の同窓会が数年前にあったけど誘われなかったなあ。年に数回は実家に行くことはあっても同級生に会うことはない。実家に帰れば地元の人たちが行きそうな場所には足を運ぶけれど、なぜか一度も誰にも遭遇することがない。僕にとっての小学校時代の同級生ってこんな感じ。


 


でもたまに会う小学校/中学校の友達はいて(ほとんど持ち上がりなので)、彼とは会っていない空白の時間に違和感を感じない。強いていえば、「同じ学校で学んだ人たちとの繋がりって独特の距離感がある」ということだろうか。逆に社会人になってから知り合った人たちとは一時期親しくしていても、時間と共に疎遠になったりすることがほとんどだ。きっと学校時代の友達とは「同じ空間」と「同じ時間」を共有したことで心のどこかが結びついているのかも知れない。


この『田村はまだか』の舞台はそんな小学校時代の同級生が札幌はススキノのスナックに集合しているシーンから始まる。主人公たちは40歳を迎え、卒業して28年経った同窓会の三次会という設定。スナックのマスター 花輪は彼らよりも少し年上の46歳、同世代と先輩の両方の視点で主人公たちに絡んでいく。そして同級生5人がスナックで同じ同級生の「田村」を待ちながら、それぞれのエピソードを昔と今を重ねながら連作短編として綴られていく作品に仕上がっている。


 


この作品の特徴は山場がないことだろうか。だから人によっては非常に退屈で、最後まで読まずに放り出してしまった人も多いかも知れない。正直、僕も途中で「ダレているわけじゃないんだけど、盛り上がりに欠けるなあ」と思いながらページを捲っていた。しかし、ずっと読み続けさせる不思議な魅力があることは間違いない。だから、読み終えた後にもう一度読み返してみた。


ひと言でいうなら、「誰にでもある日常を「ありきたりの出来事」と定義するなら、人にフォーカスするとその日常も光や影、色、香りがあって「ありきたり」じゃなくなる」ってことを物語りとして表現したのはないか、と思っている。そのため、すごく細かな描写と固有名詞を巧みに盛り込みながら作品になっている。


なんか田村って自分の中にいるもう一人の自分なんじゃないか、そんなメタファーとしての登場人物なんじゃないか、って2回目は思いながら読み進めていた。もしそうなら、結末は違うよなあ、って。国語の試験に出されたらきついけど、この本をテーマに読書会をして、みんなで印象や感想を交換できるならそれはそれで楽しいかも。不思議な読後感を味わいたいならおすすめですよ。


 


*この作品は電子書籍で読みました。

音楽の楽しみ方の変遷 Part II


 


そして今の話。この間もここで書いたけどMayu Wakisakaさんのライブにはちょこちょこと見に行っている。Mayuさんのライブはいつも同じメンバーで演奏している訳ではないので、その音はまさに一期一会。


 


今日は誕生日ライブということで渋谷の『CAFE and DINING and people』で特別なライブでした。パーカッションのTakaさんはMayuさんと同じ誕生日、ギターのMasaさんは1日違いというレアな構成。先にお店の雰囲気を紹介すると、たくさんのキャンドルの灯りがあって雰囲気はGood。開始前にちょっと撮ったのがこれ。


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ライブが始まるとこんな感じで。


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ファインダーを通して見ているから余計に分かるんだけど、Mayuさんの歌で周りの人の表情がどんどん笑顔になっていく。やっぱりヘッドホンやスピーカーから聴く音楽よりもライブで聴くのが一番ですね(僕の場合にはお酒があった方がいい)。


 


もう一つの楽しみは歌っている姿を写真に撮ること(もちろん許可を取って)。今回のマイベストショットはこれかな。


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今でも普段はウォークマンiPhoneで「音楽を聴く」ことが中心だけど、音楽だけじゃなく「楽しみながら音楽を聴く」になり、そのまた一部が「(演奏者じゃなくて)自分も参加する」という楽しみ方に変化している。それは東京と場所に住んでいるからかも知れないけど、CDショップがほとんど姿を消し、TVでの音楽番組が減った時代を考えると音楽の楽しみ方そのものも大きく変わってきているんだろう。


自分で気に入った音楽にずっと触れていたいなら、その対価を払うことが楽しみ方の最低ラインだと思う。プラス、僕と周波数が合う人はきっと気に入ると思うのでカバーのPVを紹介しておこう。