幼少の頃を思い出して

僕は小学校に上がる前からほぼ毎週末、お袋の実家にお泊まりする生活をしていた。お袋の実家と言っても同じ市内なんだけど、市内でも超田舎なところで周りの家はほぼ農家ばかりのところだった。当然、一緒に過ごすのはおじいちゃんやおばあちゃん、それとそこのご近所(隣と言っても、50mぐらいは離れている)の人たちだったので、小さい頃から大人と過ごすことには抵抗が無かった。
夏休みは長期でお泊まりしていたので、遊びもそんな中で覚えていった。例えば、蝉を捕まえる時にはいわゆる虫取り網を使うのではなく、Y字型の枝を探してきて、そこに蜘蛛の巣を巻き付け、その粘着力で蝉を捕獲していた。竹馬も竹と麻紐、端材の組み合わせで作ってもらい、それを乗りこなせるように練習した。食卓に並ぶ食べ物もご飯の他には畑で採れたもの、物々交換で手に入れた野菜、川魚、卵、鶏肉ぐらいで、牛肉や豚肉を食べた記憶がない。卵と鶏肉は近くに養鶏所があったから食卓に並んだんだと思う。野菜もサラダのように食べたわけではなく、キュウリを味噌で食べるとか、後はほぼ漬け物になっていた気がする。
そこにはおもちゃ屋さんで売っているようなおもちゃもなく、本もなく、1台白黒テレビがあったが、オーディオシステムなどは無かった。それでも、何故か退屈せず、いつも週末を楽しみにしていた。実際に楽しみにしていた記憶は無いんだけど、週末になるとお泊まりセットを自分で用意していた、とお袋に言われるときっと楽しみにしていたんだろう、と想像がつく。どじょうを捕まえる道具もおじいちゃんと一緒に作ったし、イナゴも捕った。夜になれば、普通にホタルが飛んでいて普通に捕まえることができたし、一緒に露草も入れた容器で鑑賞していた。カブトムシもクワガタも何も苦労せずに手に入れたし、当時は簡単に手に入るものが売られていることがどうしても理解することができなかった。
なんでこんなことを思い出して書いたのかというと、考える原点ってこんな部分にあるのかな、とふと思ったので、こういう記憶を残しておきたかった。それと今にして思えば、よく話を聞いていたんだと思う。同じ世代の子供たちがいたわけではないので、大人の話をずっと聞きながら少しずつ考えることを作り上げていったのだろう。そのおじいちゃんが亡くなって四半世紀以上の時が過ぎ、おばあちゃんが亡くなって15年かな。二人と過ごした時間が僕のベースを作ったと考えるとすごく感謝しなくちゃいけないという気持ちになった。今度、実家に帰った時にお線香とお水を持ってお墓を訪ねてみようか。