お寺での気づき

今日は伯父さん(義父のお兄さん)の納骨だったので家族でお寺に。お寺は文京区の長元寺で、過去に何度か足を運んだことがある。長元寺は日蓮宗のお寺で、最初にお経の紙をもらって途中で一緒にお経をあげる。法事や何かでお経を聞く機会があっても、お経そのものを視覚でとらえる機会は少ないのではないだろうか。前にも見たお経の紙も、今日は自然と目に入ってきた。よく見ると漢字四文字で一文になっている漢文のような文章(?)である。必ずしも音読みとは限らない(と感じた。事実は分からないが)ので、純粋な漢文では無いような気がするが漢文が分かると何となく意味も分かってくる。
最初に和尚から「お経は分からなくても、とにかく声に出して読み上げれば、何となく分かるようになる」と前説があったが、本当にそんな気がする。もしかしたら、毎日読んでいたら何となく身につくのかも知れない(お経の1000本ノックか・・・)。そう言えば、高1の漢文の授業はひたすら漢文のプリントを渡され、声に出して読み、訳し続けた時間だった。あの時は「漢文なんて全く役に立たない勉強をするなんて・・・・」と思っていたが、必要なシーンに巡りあった(遅すぎ)。