読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『虚』で現実を表現する 『ベーコン』 井上荒野


"ベーコン (集英社文庫)" (井上荒野)


僕は新聞、雑誌、中吊りなどで気になる本を見つけると『Evernote』の『Candidate』というノートにメモするようにしている。本書『ベーコン』は随分と前にメモした一冊で、食べ物繋がりで紹介されていたものだったと思う。井上荒野さんの名前は知っていたものの、実際に彼女の作品を読んだことがなかったのでついついそのままになっていた。そんな中、書店でiPhoneEvernoteを見ながらではなく、本棚を眺めていた時に自然と手にしていたので僕の『Candidate』というノートはあまり役にたっていないのかも知れない。


 


『ベーコン』は10編の短編が収められた作品で、どれも独特の世界観を持っている。それぞれの短編の繋がりはなく、完全に独立した物語だけどすべてのタイトルは食べ物で、その食べ物が物語のスパイスになっている。そう決してメインディッシュではなく、あくまでもスパイスとして利用されているのである。


読み終わった後に改めて振り返ってみるとどの物語も結論があるようでない。結論というと大げさかも知れないけど、結末が不安定な印象を受ける。しかし不安定ながらもちゃんと着地はしているのが不思議な部分。自分なりにいろいろ考えてみた結果、こんなことなんだろう、と思っている。


これらの作品は人間が持つ『虚』の部分に切り込み、空気感を表現しながら現実を浮き上がらせたいと考えているのではないか、と。最初の『ほうとう』では主人公の宏海と温子は不倫の関係にある。しかし、ドロドロした部分はなく、一方でドライな関係でもない。お互いを知っているようで、あまり本当の部分を表に出さない。本当はもっと一緒にいたいし、独占したい気持ちもあるだろうに、そんな表現はされないまま読み手には伝わる。お互いの『虚』の中に本音が見え隠れする。それを『ほうとう』という温子にとって特別な食べ物が支えている。


『大人のカツサンド』では大人の現実がそこにあるのに真夕にはそれを見せまいと『虚』を演じている。しかし真夕は自然と現実を感じ取ってしまう。現実を避けるために『虚』をどんどん重ねて、それが次第に現実をより現実に変えていってしまう。『嘘』を重ねるのではなく、あくまでも『虚』なのである。最後のカツサンドという現実が無かったら、その物語は破綻するんだけどカツサンドがちゃんと着地点に着地させてくれる。


 


何とも不思議な短編が続く。読みながら『食べたい』とは思わないのに、登場する食べ物が無かったら物語が成立しないかのようなポジションを担っている。秋だし、大人の物語を読みたい方には是非。