文化を支える『粋』に仕事をする人たち 『老舗の流儀』 南陀楼綾繁


"老舗の流儀―戦後六十年あの本の新聞広告" (南陀楼 綾繁, とうこうあい, 東弘通信社=)


この本は『本が好き!』から献本いただきました。


僕は今でも電車の中吊り同様に本の新聞広告は楽しみにしているし、この広告を見て購入することが多い。そういう意味では、(僕にとって)新聞広告は広告効果を発揮しているわけである。極端なことを言うと、新聞の各記事よりも書籍の広告の方が僕にとっては重要かも知れない。とは言え、そんな人は多数派ではないだろうから、大きな声で発言するようなことでは無いかも知れないけど。


この本を読んで知ったことはいろいろあるんだけど、中でも『広告』としての価値以外に意味があり、また過去にはドラマがあり、そしてタイトルにもなっている『流儀』があることを改めて知った。またTV CMのように何度も目にするような媒体ではないのに、記憶している広告も多く、意外と映像よりも記憶に訴える媒体なのかも知れない。


 


この本で一番楽しみにしていたのは幻冬舎社長の見城氏のインタビュー部分。過去に見城氏の講演を聴いたことがあり、決して弁が立つ話し方ではないのにいつの間にか見城ワールドに引き込まれた記憶がある。幻冬舎設立時の広告も幻冬舎文庫リリースの時の広告も、今でもよく覚えている。幻冬舎設立と同時にリリースされた単行本の著者名は圧巻だった。五木寛之村上龍吉本ばなな山田詠美篠山紀信北方謙三の大御所6人の新作を同時発売である。ご祝儀的なことを差し引いてもインパクトは強かった。そして幻冬舎文庫リリースの時の62冊同時発売は一瞬で書店にコーナーを作ってしまった、という勢い。これは角川文庫を拡大させた見城氏ならではの戦略だったのだろう。坊主の井上晴美の広告も脳に焼き付いている。そんな見城氏の言葉でこんな一言が書かれている。



僕にとって、仕事をするというのは「無理だ、無謀だ、不可能だ」と他人からいわれることを可能にすることです。


 


新聞広告の歴史に『とうこう・あい』あり、という気持ちが関係者すべてに感じられる。僕にはどういう会社か馴染みがないが、そういう気持ちを大事にする人たちでこの新聞広告が成り立ち、『文化』として残っていることは非常に理解できる。培ってきた『文化』を理解し、それぞれの立場の思いを形にして届け、広告なのに広告以上の価値を提供する。それを『粋』と感じ、それを生業にしている。多くの制約条件下で作成される新聞広告、特にサンヤツ、サンムツと呼ばれる小さな広告にこそ多くの努力の証が表れている。これを『粋』と呼ばずに、何と呼べばいんだろうか。そんなプロの仕事の歴史に触れたいと思ったら、この本を手にすることをお薦めする。