立ち止まる勇気 「もたない贅沢」 山崎武也


"持たない贅沢" (山崎 武也)

本当に「欲しいものは何か」に気づく

 人間は欲で生きている。あれも欲しい、これも欲しい、あれもしたい、これもしたい、ああなりたい、こうなりたいと、「たい」づくしで欲には切りがない。

 その欲を実現しようとして努力するところに生き甲斐を感じ、実現できたところで満足感を味わう。欲は人が生きていくときの原動力になるものであるから、間違いなく「善」である。欲がまったくなくなった、絶対的な無気力状態になったら、直ちに生きていくことがストップしてしまう。

 ところが、自分の欲のおもむくままに自分勝手に進んでいっていると、知らず知らずのうちに、ほかの人たちの欲と抵触してくる。それも平和的に解決しているうちはいいが、自分の欲を強引に押し通そうとすれば、さまざまな軋轢が生じる。さらに、人の道に反することまでするようになると、そのうちに社会から相手にされなくなったり、弾き出されたりする。このように身を滅ぼす結果になることを考えれば、欲は「悪」である。

(中略)

 自分が持っている欲について、時どきでいいから、冷静になり客観的に観察し分析し考察してみる。すると、欲のために自分が身動きできなくなっている部分があることに気がつくはずだ。たとえば、物や金が欲しいと思っているために、身の回りが騒がしくなり複雑になっていて、結局は大きな「重荷」を背負い不自由な思いをしている結果になっている。

 物でも金でも、また名誉でも、持っていることは、それらに気を使っている分だけ自分が束縛されていることであり、日々の生活が複雑になっていることにほかならない。そこで、本当に自分が求めているものは何かについて、虚心坦懐に考えてみるのだ。一所懸命に追い求めている物や金や地位も単なる「手段」であって、実際に欲しいと思っているのは「幸せ」ではないのか。

 

「目的」と「手段」にはき違え、欲に縛られ不自由な自分を感じたら、時間を作ってでも立ち止まって本書に触れてみるべき。毎日見ているいつもと同じ景色が違って見えるかも知れない。