蓄積した知識を存分に使って楽しんでほしい 『英雄たちの朝 (ファージングI)』 ジョー・ウォルトン


"英雄たちの朝 (ファージングI) (創元推理文庫)" (ジョー・ウォルトン)


この本は『本が好き!』から献本いただきました。


 


もしあなたがこれまでに相当数の本を読んできて、更に学校の勉強以外にも興味の対象がたさくあり、気になったら調べずにはいられない、そんな性格だったら本当に楽しめる一冊だろう。


大前提として、世界の歴史、特にヨーロッパ各国の歴史とユダヤ人の知識が必要である。そういう意味では上級者向きな作品とも言える。舞台は第二次世界大戦直後のイギリス、主人公はスコットランドヤードに勤務するカーマイケル警部補。そして事件はハンプシャー州の貴族の屋敷の中で起きる。ただの事件ではなく、『ファージング・セット』と呼ばれる今や国を動かすほどの力を持った派閥の主たるメンバーが集まったその時である。下院議員であるジェイムズ・サーキーは胸に自身の短剣が突き刺さり、ユダヤの旗と一緒に変わり果てた姿で発見される。さらに血に見えるように口紅で細工されて・・・・。いかにも政治的思想を感じさせる殺人事件だが、意外にも死因はガスによる中毒死だった。


カーマイケルは自分の中でイメージされる仮説と関係者へのインタビュー、どんな小さなことも見逃さない観察力を駆使して犯人に一歩一歩近づいていく。そして真相にたどり着いた彼に待ち受けていたのは究極の選択だった。


 


本作は主人公のカーマイケルの視点、事件が発生したエヴァズリー家の娘 ルーシー・カーンの視点という複眼的な書き方がされている。同じ物事を全く違う視点と印象で語られることにより、事実に厚みが生まれる効果がある。また二人とも感情だけで物事を判断するのではなく、仮説を立て、考えられる範囲で科学的に説明ができるかどうかを繰り替えしながら思考をまとめていく。ルーシーは貴族の娘でありながらユダヤ人と結婚し、カーマイケルはと特殊な性癖を持っていて、二人とも一般社会とは距離を置いた立ち位置で生活をしている。だからこそ先入観にとらわれない考え方を持っている。この辺のキャラクター設定は絶妙である。


また文章はウィットに富んだ会話をあちこちにちりばめ、技術に依存しない文章に仕上がっている。さらにビックリしたのは作者のジョー・ウォルトンが僕と大して違わない年齢であることである。ジャンルとしては歴史改変エンターテイメントに分類される作品になるわけだが、豊富な知識さえあれば非常に楽しめ、そして奥が深い作品であることが分かるだろう。幸いなことにこの作品は三部作の一作目である。早速、その次を読もうじゃないか。