山場がないのに最後まで引っ張られる魅力 『田村はまだか』 朝倉かすみ




"田村はまだか (光文社文庫)" (朝倉 かすみ)


 


そう言えば小学校の同窓会が数年前にあったけど誘われなかったなあ。年に数回は実家に行くことはあっても同級生に会うことはない。実家に帰れば地元の人たちが行きそうな場所には足を運ぶけれど、なぜか一度も誰にも遭遇することがない。僕にとっての小学校時代の同級生ってこんな感じ。


 


でもたまに会う小学校/中学校の友達はいて(ほとんど持ち上がりなので)、彼とは会っていない空白の時間に違和感を感じない。強いていえば、「同じ学校で学んだ人たちとの繋がりって独特の距離感がある」ということだろうか。逆に社会人になってから知り合った人たちとは一時期親しくしていても、時間と共に疎遠になったりすることがほとんどだ。きっと学校時代の友達とは「同じ空間」と「同じ時間」を共有したことで心のどこかが結びついているのかも知れない。


この『田村はまだか』の舞台はそんな小学校時代の同級生が札幌はススキノのスナックに集合しているシーンから始まる。主人公たちは40歳を迎え、卒業して28年経った同窓会の三次会という設定。スナックのマスター 花輪は彼らよりも少し年上の46歳、同世代と先輩の両方の視点で主人公たちに絡んでいく。そして同級生5人がスナックで同じ同級生の「田村」を待ちながら、それぞれのエピソードを昔と今を重ねながら連作短編として綴られていく作品に仕上がっている。


 


この作品の特徴は山場がないことだろうか。だから人によっては非常に退屈で、最後まで読まずに放り出してしまった人も多いかも知れない。正直、僕も途中で「ダレているわけじゃないんだけど、盛り上がりに欠けるなあ」と思いながらページを捲っていた。しかし、ずっと読み続けさせる不思議な魅力があることは間違いない。だから、読み終えた後にもう一度読み返してみた。


ひと言でいうなら、「誰にでもある日常を「ありきたりの出来事」と定義するなら、人にフォーカスするとその日常も光や影、色、香りがあって「ありきたり」じゃなくなる」ってことを物語りとして表現したのはないか、と思っている。そのため、すごく細かな描写と固有名詞を巧みに盛り込みながら作品になっている。


なんか田村って自分の中にいるもう一人の自分なんじゃないか、そんなメタファーとしての登場人物なんじゃないか、って2回目は思いながら読み進めていた。もしそうなら、結末は違うよなあ、って。国語の試験に出されたらきついけど、この本をテーマに読書会をして、みんなで印象や感想を交換できるならそれはそれで楽しいかも。不思議な読後感を味わいたいならおすすめですよ。


 


*この作品は電子書籍で読みました。