もっと早くに読んでおくべきだった 『日本の米』 富山和子




"日本の米―環境と文化はかく作られた (中公新書)" (富山 和子)


 


この本を読むきっかけは本当に偶然だった。娘の公開授業の社会の時間での先生のひと言。「どうして暖かい地方よりも寒い地方の方が米の生産量が多いのか考えてみよう」という子供たちへの問いかけに疑問を抱いたからだ。結果的に関西や九州に比べて北陸、東北、そして北海道での米の生産量が多いが、「暖かい」「寒い」という括りには意味がないのではないか、と密かに思い、気になったので早速この本を読んでみた。


最初に書いてしまうと、米のことに限らず豊かな緑と水が身近なこの日本は自然発生的にこうなった訳ではなく、先人たちのたゆまぬ努力のお陰だということが非常に理解できる。そして、その努力の源は米という類い稀な宝を手に入れるため、ということが分かる。人によってはエコということを根底から変えてしまうかも知れない。だが、日本という国が限られた有効面積の中で人口を増やし、どう自然と調和をとってきたかを知るのに新書の値段で済むのである。米というものを中心に据えて、日本の歴史を考察した本書は必読書として多くの人に読まれるべき作品であろう。


 


本書を読み進めていく上で重要なポイントがある。その一つはこれ。



たった一粒の種籾から2000粒、3000粒もの米を実らせる稲。二年で4000万、三年で80億、四年で16兆---。こんな作物は他にはない。「一粒万倍」といわれるこの「稲」という植物にはじめて出会った先祖たちは、どれほどの驚きと、喜びと、そして敬虔な祈りとで、それを国土に根付かせてきたことであったろうか。そして、以来、より多く実る稲、より病害虫に強い稲、よりうまい米を求めて、どれほどの品種改良が重られてきたことであろうか。


小麦など他の穀物と比較しても非常に生産効率が高いことを別の箇所で言及しており、米によって日本の文化が構築されていったことをロジカルに証明している。


また米を「基軸通貨であった」という表現も絶妙である。これは畑で作られる野菜などと違い、「保存がきく」という特性が作用させ、それに伴って新田開発が促進され、そこには土木、和算など必要な技術が発達する。特に土地の構造改革や河川の大規模な工事は技術的な視点だけではなく、組織で対応する必要性を生み出したり、と日本人の価値観の創造に大きく影響を与えていると唱える論点は目を見張るものがある。「米」を軸に置くことで、日本の歴史は「水をコントロールする」歴史と言い換えても過言ではなく、だからこそ山の木を守り、大事な水をどう流通させるかを守ってきた日本的なエコシステムがあったからこそ、現代でも豊かな緑ときれいな水を享受できていると説く。


 


僕の実家は利根川と江戸川に挟まれた場所だが、恥ずかしながら何度かの人為的な改造の結果としてこの形になっていることを知らなかった。当然ながら、これからは身近な川を見る目も違ってくるだろう。そして、著者である富山和子氏の考察範囲がかなり広範囲で、かつ非常に整理されて書かれているため最後まで探究心を擽られながら読み進めていた。読み終わってみると、自分自身がなんとも薄っぺらな知識と経験しかないことに気づかされた。是非多くの人にこの本を読んでもらって、身近な部分から再確認してほしいと素直に思った。