もう一度あの感動を甦らせてくれる 『夏から夏へ』 佐藤多佳子




"夏から夏へ" (佐藤 多佳子)


 


スタブロ(スターティングブロック)をセットする。両足のブロックの位置を決めて足をのせて構えてみる。その日の調子で若干の微調整が必要。何度かスタートをきってみて、感触を確かめる。短距離走のスタート前の儀式。前の組がスタートしたら今度は自分たちの番だ。もう少ししたら、これまでの練習の成果を十数秒の結果として目の前に突きつけられる。中学校の時は陸上部だったので、読みながらふとそんな情景が思い出された。


 


数あるスポーツの中でも陸上競技はきっと地味な方に分類されるスポーツの一つだろう。野球のようなホームランがあるわけでもなく、サッカーのような強烈なシュートによるゴールがあるわけでもない。さらに、そのほとんどは自分自身の身体だけで挑む競技であり、中でも短距離は一瞬の勝負のために日々練習を繰り返さなければならない。だからトップアスリートは類い稀な恵まれた肉体を持っているだけではなく、強靱な精神力が備わっている。そうでなければ決してトップアスリートにはなれないからだ。


 


4年前の北京オリンピックでの男子4x100Mリレーを覚えているだろうか。塚原直貴-末續慎吾-高平慎士-朝原宣治の4人で、この種目で日本人として初めてメダルをもたらした瞬間である。その瞬間とはこれだ。



この作品はその前年の大阪で行われた世界陸上からこの北京オリンピック前までを取材して綴られたTVの映像とは違う彼らの姿である。著者の佐藤多佳子は小説家であってノンフィクションライターではないので、どちらかといえば上手な文章ではない。臨場感が伝わる文章ではなく、まるで素人が書いたような文章に感じるだろう。だが不思議なもので、読み進めていくうちにこの飾らない文体こそが彼らの真の姿を描写しているのかも知れないという気持ちになってくる。写真ですら撮影者の思考によって構図が決まり、そこに意図を反映させて一つの作品として形づけられる。ノンフィクションの文章であっても、それは同じである。しかし、この作品はそうではなく、淡々と取材の時の様子が積み重ねられ綴られている。


もっと貴重なのは、この作品が書かれた時点では北京オリンピックは始まっておらず、当たり前だがメダルは獲得していない。だからこそ、ピュアな作品なのだろう。


TVでは分からないバトンゾーンでの二人の関係や技術だけでは越えられない信頼関係の上に成り立っている競技であることが改めて理解することができる。


今年はオリンピックイヤーだから、この本を読んだら短距離の見方が全く違うものになるだろう。中学の時に読んでいたらきっと練習に対する気持ちも全然違っていたに違いない。