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就活している学生だけじゃなく、若者の必読書と言ってもいい 『就活に「日経」はいらない』 成毛眞

Book




"就活に「日経」はいらない" (成毛 眞)


 


タイトルはキャッチーだけど、内容はいつもながらの"成毛節"炸裂。就活を通して自分自身の未来をどう考えるかが大事であって、「日経は必須」的が安易な考え方を否定しているに過ぎない。成毛さんの言葉を借りれば、



新聞を読めば世の中の動きが分かるといまだに信じている旧人類のような人たちもいるが、新聞からは真のリアルタイムの情報を得られるわけでも、多角的な情報を得られるわけでもない。だから、就活向けに新聞を読め、などという大人のたわごとには耳を傾けないほうがいい。


となる。新聞は必要ない、ということではなく、新聞に載っている内容など把握していた当然で、さらに誰かが加工した二次情報ではなく、どうやって一次情報を手に入れられるかがポイントだといっているのだろう。この辺の言葉の受け取り方を間違うとせっかくの内容ももったいない結末になりそうである。


 


少し僕の話をしよう。


僕の就活の時期はバブルのストライクゾーンだったので今の時代と違うけど、それでも基本的な考え方は一緒だと思う。


僕の就活時代のエピソードといえば、面接の時にゴルチエのスーツで臨んだことだろうか。とある有名なメーカーの面接では「君はアパレルに行かないのかい?」と尋ねられた。「いえ、アパレルは行くつもりがありませんが・・・」と挑戦的な答えをした記憶がある。そもそもその面接官は僕が自己紹介をしていた時にずっと下を向いていて、当時でも「その態度は変だろう」と思ったものである。自分自身が少なくとも数年間、人生のほとんどを過ごす場所にいる人がどんな人か、その人たちと一緒に努力できるかを面接をしながらも考えるのは当然だと思う。少なくとも見た目で思考停止するような人とは一緒に仕事したいとは思わなかったので、ゴルチエのスーツはある意味でリトマス試験紙として身に纏っていた。


ちなみに同じく成毛さんの言葉を流用すると、



面接は、面接官と就活生の距離を縮めるゲームのような側面がある。距離を縮められた就活生は受け入れられ、そうでない就活生は落とされる。


と。面接という狭義の意味で考えずに、仕事の中で発生する面談、交渉事は常に同じだと思う。距離を自分で縮めることと縮められることは天と地の差がある。どんな仕事も「人」と「人」で行うものなので、採用側から見れば簡単に距離をコントロールされてしまう人材は必要とされていないのである。


 


就活そのものには直接関係ない話だけど、この言葉は読んだ瞬間に思わず「そう!」と口ずさんでしまった。



(親子で就活の話をしていた後に)


関係”大あり"である。若者がお金を使う世の中にならない限り、日本経済は回復しない。


経済の動向は、住宅の着工件数を見ればよく分かる。


経済全体というマクロな視点だけではなく、若い時期に自分への投資をしないのはミクロ的に見ても個人の経済回復はないだろう。無駄遣いを無駄遣いとして終わらせるか、そこから何かを得ようとするかで全く違う経験になる。要は「意識して」お金を使え、ということである。


 


以下は、僕が読みながら付箋を付けた部分である。どの言葉もかなりビビッドな感じ。自己啓発本をたくさん読むぐらいなら、この本を読んで自分の考えをまとめた方がよっぽど身になる。



娘は昔から数学だけが得意だった。数学は空間をどうイメージするか、という全体像をとらえる学問でもある。娘の学校の教師が何通りかの答えの出し方を示して、「答えにたどりつくにはさまざまなルートがある」と教えてくれたらしい。


 



要は代替になる人が少ない職業ほど希少価値が高くなる。代替が多い職業ほど、多くの人が殺到するから互いに食い合うことになり、転落する人が続出する。


 



ところで、「あれ、営業って商品を売り込むことじゃないの?」と思う人もいるかもしれない。そう、営業とは、相手を喜ばせて自分を好きになってもらう行為なのである。