20年以上前の盆栽の記憶


BK仲間の@7_nanaのツイートを見て昔を思い出した。


内容はこれね。


盆栽


 


20数年前、社会人として最初の会社の社長の趣味は盆栽だった。創業者であり、会社の株式を公開ばかり、そして時代はまだまだバブルのまっただ中。趣味が高じて、というとあまりいいイメージにはとられないが、その思いは盆栽の美術館を作る、という夢に変わっていた。最近では観用植物と同じような感覚でミニ盆栽を部屋に置いている人もいると思うが、当時、その社長が持っていた作品の中には億単位のものもあった。絵画などと違い、盆栽は生き物であり、常に手をかけてあげなければ枯れてしまい、芸術品としての価値もゼロになってしまう。つまり所有欲あるいは投機目的では盆栽は難しいものである。そしてモノの良し悪しを見分け、手入れができ、そして金銭的にも余裕がないと難しいのが盆栽の特徴でもある。


 


 1年目の終わりから広報部という部署に異動したので(入社前の面談でかなり強く希望を伝え、今でいうマーケティング業務は広報部で担当していた)、1年目の社員とはいえ社長はもちろんのこと他の役員や部長と話し、時には交渉しなければならない立場でもあった。社長は裸一貫で会社を立ち上げた人でもあるのでそれはそれは仕事に対してとても厳しい人ではあったけど、直接いろいろなことが聞ける立場だったことは今思えば貴重な経験にもなっている。 たとえば、盆栽というとどうしてもその木(樹)だけに目がいってしまいがちだが、木、盆、台の三位一体の形で見るものであると教えられた。だから、木の形が整ってきてそれなりのものになったら盆も合わせる必要がでてくる。さらにそれらを乗せる台も。 


 作品展などで飾られている盆栽には針金が巻かれていることはないが、普段は望む形になるよう針金で躾られている。この「躾」は「身」を「美しくする」ということ、まさに盆栽を美しくするための手段である。鋏を入れる剪定にしても躾にしても、5年後や10年後の姿をイメージして今、自分がすべきことに着手するんだ、と言われ、それは会社で人を育てることと同じこととよく言われていた(よくインタビューなどではそう語っていた)。


 それからこうも言っていた。「盆栽は先人が丹精込めて育ててきた歴史の一つをたまたま自分にバトンを渡されたリレーのようなもの。やがては誰かにそのバトンを渡すことになるため、盆栽だけではなく人を見る目も必要である」と。


 


 時代も変わり会社も人を育てる余裕がなくなり、入社時からある程度の即戦力を求めるようになってきている(だから厳しい就活になっているんだろうけど)。でも「人」は消耗品じゃないんだよね。その当時は毎日のように『辞めてやる!』って思いながら仕事をしていたけど、上司や先輩はいい躾をしてくれたと思う。あれから20年以上が経過し、年輪も増えて幹は太くなったと思うけど遠くから見る姿がよくなっているかは正直自信がない。しかし、あの頃に指摘されたことは今でも昨日のことのように記憶している。記憶と言うよりも身体に染みついている、と言った方が近いかも知れない。それらはやっぱり盆栽に針金で形を整える「躾」だったのだろう。


 


 ネットで検索をしたらこんな記事を発見。でも「寿雲」の写真の下が「日暮し」の説明になっている。この「寿雲」が一番好きな作品だったのでよく覚えている。盆栽町で見たお化粧をしていない(木を磨いていない状態)「寿雲」はそれでもオーラがあったなあ。