今回の災害とは関係なく多くの人に読んで欲しい 『災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録』 中井久夫




"災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録" (中井 久夫)


この書籍は『本が好き!』から献本いただきました。


 


ちょうどその時は東京湾に浮かぶ船の上だった。当時の会社のイベントで前日の夜から東京湾クルーズで接岸間近の時間にかなりの騒ぎになっていた。船の中には関西からのお客さんも多くいて、備え付けられたTVを見ながら「うちが燃えてる」と半狂乱になっているお客さんもいた。1995年1月17日の朝の出来事である。前夜の宴はまるで夢のようで、とにかく早く全員を上陸させ、小さなパニック状態を回避することが優先された。


関西のお客さんは使える手段で地元に戻ることだけを考え、関西エリアの営業を担当していた友人は「とにかく一緒に行くよ」とそのまま西に向かった。TVで崩れ落ちたビルや倒れた高速道路を見ても全く現実感がなく、まさしく対岸の火事を見ている状態だった。


 


本書は神戸大学医学部教授(当時)であり、精神科医の中井久夫氏が綴った阪神大震災直後の記録である。メディアの見る人/読む人を煽るような文章ではなく、冷静かつ客観的に、そして本人を含めた現実的な活動の記録を記すと共に神戸市民として神戸という街の歴史や行く末を言及している。併せて、今回の東北地方を中心起きた災害をメディアを通じて見た内容を阪神大震災と比較しながら語られている。医師という立場だけではなく、制度、歴史、両災害の根本的な違いなどいろいろな角度で説明されている文章は読みやすく、そして多くを考えさせられる。両方の文章に登場する『黄色の花』には当事者であり、人の心と向き合うことを生業とし、そして変化を感じるセンサーが敏感な中井氏ならではの指摘かも知れない。何かできる範囲で支援しようと考えた時、少なからず物理的、物質的なものをイメージし、意識がそこにしかなかなかいかないが、相手は人であり、平時とは違う特別な経験をしてしまった人たちだからこそ花の役割があることに気付くことは難しい。


 


阪神大震災直後50日の記録は有事から有事の中でも平時に向かった瞬間にこれまでと違う行動を取るべくスイッチを入れ替えないといけないことが描かれている。有事には指揮命令系統にあわせて行動するのではなく、すべての人が「何ができるかを考えてそれをなせ」が原則であり、たとえ錯誤であっても取り返しのつく錯誤ならばよい、と説き、実際に中井氏自身電話対応を積極的に受け持ち、電話を掛けてきた患者に対して過去の処方を調べ、近くの診療施設を紹介し、いざとなれば中井氏からの紹介と言えば対応してくれる、と伝えている。現場は若手が対応し、中井氏は電話対応と全体指揮とそれぞれの立場、力量でベストなフォーメーションを築いている。そして一番大変な状況下で医療業務を遂行しているナースや若手の医師(彼ら彼女らも被災者である)に代わって事務的な手続きをしたり、医療業務以外のサポートをしたりとその姿はまさしくリーダーの姿である。


3週間が過ぎ、非常事態終結宣言後は有事でありながら平時と同じように気持ちを替え、経済社会の枠組みでの調整が始まる。とはいえ、環境は平時とは違うので知恵を絞り、あるものの中で体制を組まなければならない。そして本格的に精神科医が強く要求される段階に入る。医師も人間であり、それまでの期間は体力よりも責任感が上回っているからなんとかなったもののここからはそうはいかない。また違う知恵を働かせ、行動が必要になってくる。


 


この本自体は今回の地震をきっかけに緊急出版されたものであるが、リーダーシップを考える上でも多くの要素を含んだ文章だと思う。有事を前提に考えなくとも学校や会社などいろいろな集団組織の中で本書を材料としたディスカッションができるのではないか、というのが一番最初に心に浮かんだ。