初期の白川作品に漂う緊張感を今ここに 『祈る時はいつもひとり』 白川道




"祈る時はいつもひとり⟨上⟩" (白川 道)


1000ページを優に超える大河は睡眠を妨げ、いまちょっとした疲労感と興奮の後味だけを残している。ハードボイルド、経済小説、恋愛、友情などカテゴリーやラベルは全く意味がなく、単に白川道作品ですべての説明がつく。大幅に加筆、修正がされたとはいえ、今から15年以上前に書かれたことを考えると彼の代表作でもある『天国への階段』以前の作品になる。


 


読みながら次第に興奮している自分自身とは別にもう一人の冷静な自分がいて、どこかで藤原伊織と比べていた。雑誌連載のタイミングを藤原作品に置き換えてみると、『テロリストのパラソル』と『てのひらの闇』の間になる(実際にはその間に別の作品もあるが)。ここでこの2つを出したのは意味があり、部分的に似たようなところがあるからだ。本書『祈る時はいつもひとり』の主人公 茂木はどこか『てのひらの闇』の堀江を思わせる。茂木は空手、堀江は剣道の腕が立つという設定だけではなく、一般社会との距離感、思想、芯の強さや純粋さがどこか二人をダブらせる。


しかし二人の文章は似て非なるものである。白川の文章は文章の中に緻密な描写と心の動きを紡ぎながら展開し、セリフはかなり考えられたセリフ(ウィットがあり、かなり気障な部分が多い)で構成される一方、藤原の文章は緻密というよりも精密な描写の上に登場人物の色づけはすべてセリフで行う、という手法である。どちらが良い悪いではなく(僕の中では天才と思う作家の二人である)、作品に求めるものが違うのだろう。ただし、共通するのは筆が立つだけではなく、相当な準備とプロットを重ねて書かれていると思われる。


 




"祈る時はいつもひとり⟨下⟩" (白川 道)


少しだけ中身に触れておくと、東京・青山で「茂木リサーチ」という調査会社を一人で営む主人公の茂木はかつて「風」と呼ばれる仕手グループの一端を担っていた。が、5年前に中心人物・尾形が事故で亡くなり、同時に相場を担当していた大学時代からの友人・瀬口が巨額の金と一緒に失踪してしまった。茂木はほとんど仕事をせず、瀬口の消息を掴むことだけに没頭していた。尾形の5回目の命日を境にいろいろな「風」が動き出す。調査という「相場」にはこれまで付き合いのあったヤクザだけではなく、政治を陰で操る黒幕、香港返還を機に触手を伸ばそうとする中国の組織と大物の役者が次々と登場する。次第に調査は命がけのものになる。


展開は予想を裏切り続け、最後までわからない。おそらくこの結末は誰も予想し得ないだろう。


 


天国への階段』や『終着駅』、『最も遠い銀河』に比べると初期の白川作品にあった緊張感と「粋」なセリフに読みながら思わずニヤけてしまうだろう。そういえば香港を舞台にした小説、服部真澄の『龍の契り』を読み返してみたくなった。




"龍の契り (新潮文庫)" (服部 真澄)


作品に登場するオールドパーは当時とデザインが違うんだよなあ。変わらないのはピースの香りだけかな。