必要なのは自分自身を見失わない心構え 『超思考』 北野武




"超思考" (北野 武)


この書籍は『本が好き!』から献本いただきました。


 


前作『全思考』も読んでいるし、雑誌『Papyrus』で連載されている時にもファンだったので改めて『超思考』という本の形でまとめられた本書の期待値は大きかった。そしてその期待値以上の出来に再度、北野武という人の凄さを感じた。




"全思考 (幻冬舎文庫)" (北野 武)


 


本書は19個のエピソードから成り立っているけど、基本的にはずっと同じことを言っている。これは前作の『全思考』から見ても同様で、筋が一本通っていてエピソード毎に視点のポイントを変えているだけである。では、つまらない、あるいは飽きてくるという感覚はなく、逆に「こういう風に考えているのだろうか」という仮説が徐々に確信に変わっていく。4つ目のエピソードの中に『偽物が本物で、本物が偽物』というパラグラフがあり、本物を知らないから本物と偽物の区別がつかず、本物を出されても偽物と受け取ってしまう、という文脈なんだけど地震後のTwitterなどを見ていても同じような印象がある。



次から次へと新しいものを買い漁り、古いものは捨てるという生活が脳味噌にまで染み込んで、モノの善し悪しの判断を自分でしなくなってしまったのだろう。


は的を得た表現でもあり、脊髄反射のようなTwitterのRTを見ていてもこの脳停止状態の一つの現象なのではないだろうか。


 


実は本書を読みながら気付いたのは意見や考え方についての表現方法が村上龍のエッセイに非常に似ていることである。というのは、自身の意見が語られた後、エクスキューズがあり、「否定しているわけではない」という書き方がいろいろなところに見受けられる。この部分だけを切り取ると優柔不断な態度に写ってしまうが、村上龍の場合には小説、北野武の場合には映画など他の場所でより強烈な考えを披瀝する場があり、それと併せて読んでみるとエクスキューズは『絶対』のための強調構文に見えてくる。


具体的な例を一つ挙げるとすれば、



俺が今ちょっと面白いなと思うのは、民主党への政権交代は、そういうことのある種の現れじゃないかということだ。念のために言っておくが、モノを考えない人が民主党に投票しだんだなんてことを言いたいわけじゃない。


どう捉えるかは読み手の判断に委ねられる言い回しだが、僕は武はそう思っていると思う。


 


精神的な北野武を作ったのは間違いなく彼の母親であり、母親から受けた躾け、哲学だと思う。一貫して自分を見失わない謙虚な気構えを持ち続けている。時代の力によって押し上げられたこともしっかりと認め、その一方で継続的な努力をし、常に自分の場所を確認しながら今すべきことに着手する。それは言葉だけではなく、態度や習慣として行動に表れている。本書は今の自分自身がうまくいっている時でもそうでない時でも自分の場所を確認するための一冊になるのではないか、というぐらいの作品だと思っている。もし有名人 北野武が著者でなくても(実際には事実が武の経験を通して書かれているのでそういうわけにもいかないが)良い作品であることは間違いない。


 


関連:


[Book]「全思考」 北野武 2009-06-13