『本が好き!』で1級になったので、ちょっとしたふり返り


いつも本のレビューをエントリーしたり、献本をいただいたりと何かとお世話になっている『本が好き!』のサイトでめでたく1級になりました。その上には「免許皆伝」があるのでまだまだ目標があるのですが・・・。現時点で80数冊をエントリーしているけど実際に読んで書いているのは3分の1ぐらいかな。レビューするほど大した内容でなかったり、逆に気になるポイントが多すぎてまとめられずにレビューにならなかったりする。せっかくの機会なので、本にまつわる僕の話を少し書きますね。


 


今でこそ年間200冊ぐらいの本を読むようになっているけど、子供の頃は本当に本を読まない子だった。絵本もほとんど読んだ記憶が無いし、ましてや学級文庫を借りて読むような子供でも無かった。その時間は専らTVに費やされ、中でも仮面ライダーなど実写戦闘ものは本当に大好きだった。記憶している中で初めて読んだ長編(?)はモーリス・ルブランの奇巌城だったと思う。そうそうポプラ社の表紙の厚いやつですよ。多分、読書感想文を書かないといけなくて読んだ気がする。でも読むことに全エネルギーを使ったため、内容は全然理解できなかった。仕方がなく、最初の方のページをちょこっと書き写しながら少し自分の言葉を書くようにして、どうにかこうにか字数だけ合わせて提出した記憶がある。だから本当に読書感想文が嫌いだった(冬休みの宿題の書き初めも嫌いだったけど)。




"奇巌城―怪盗ルパン全集 (ポプラ文庫クラシック)" (モーリス ルブラン, 南 洋一郎)


 




"笑うな (新潮文庫)" (筒井 康隆)


自主的(?)に本を読むようになったのは中学生の時に星新一のSFを読んでからかなあ。少しだけ『本を読む』という行為に慣れてきて、ここからの活字に対する処理能力スピードは凄かった。ほぼ本を読まない子が中一の時には筒井康隆の『笑うな』を読んで面白いと感じたし、田舎にもかかわらずPOPEYEとかも読んでいた。お陰でその後は片岡義男の作品はほぼ制覇するぐらい読んでたかな(何冊かは間違って2冊買いました)。とは言っても、本をたくさん読んでいる人に比べれば読書量は少なく、どちらかと言えば雑誌を読み漁っている、と言った方が近い気がする。


 


30歳を過ぎてから仕事で知り合った友人に「子供の頃、父親に年間50冊ぐらいは本を読むようにしなさい」って言われていたんだよね、とう話を酒の席で聞いて、それを目標にするようにした。何とか50冊をクリアしたら、その次の年は100冊以上読むことができて、以来150〜200冊ぐらいは意識しなくても読むようになっていた。


ある時から友人たちに「最近どんな本を読んでるの?」とか「面白かった本を教えてよ」と言われることが多くなり、その場でいくつか紹介しながらポイントを説明する機会が増えた。が、大体そんな時は酒を飲みながらの場合が多く、結局、次の日に同じ内容のメールを送ることなっていた。そんなことが度々発生するようになったのでブログに読んだ印象を書くようになり、友人たちには「必要な時にはブログを読んでみて」という流れにした。


実際にブログに書くようになるといろいろ意識することが出てきて、


  • なるべくあらすじは書かない

  • 感想よりもどう感じたかを中心する

  • 良いところも悪いところも書く


というルールを自然に作っていたような気がする。あらすじを書いてしまったらこれから読む人に失礼だし、読書感想文よりも僕というフィルタを通してその作品を見た時に何が得られるのかの方が友人たちには意味があると思っているから。だから『レビュー』とか『書評』という表現は僕の中では何となくしっくりきていない部分もあるんだけど、僕が書いた文章に評価をしてくれる人がいたり、楽しみにしてくれている人がいることを考えるとこのスタイルというか、僕なりの型でいいのかな、と解釈している。


 


単に本を読むだけではなく、そのアウトプットを表現する場を提供してくれている『本が好き!』には本当に感謝しているし、評価や声をかけてくれる友人たちにはそれ以上に感謝している。「求められている」ことはモチベーションを高める大きな要素だし、これがあるから継続できるんだと思ってる。僕の文章が他の人の役に立つかどうかは分からないけど、不特定多数に向けたものではなく、気に入ってくれている特定の人たちに向けては今後も継続していきたいと思ってる。もしこういう時代やこういう場が無ければ今でも「読書感想文は苦手で嫌いなんだよね」って言っていたかも知れませんね。