読みながら泣いちゃった 『ランウェイ・ビート』 原田マハ




"ランウェイ・ビート (宝島社文庫)" (原田 マハ)


不覚にも読みながら泣いてしまった。一作一作まるで違うテイストの作品を作り続ける原田マハ。作風なんてものは存在せず、言葉を変幻自在に操る。今回の作品は元々ケータイ小説として書かれたもので、あの小さな画面を意識しながら作られたことが却ってリズム感を生み出している。僕が感想を書けなかった『#9(ナンバーナイン)』とは対極にありながらも新たな原田マハはそこに存在し、新しいファンを獲得したことは間違いない。


 


舞台は高校、主人公は高校生の青春ストーリーでありながら青春時代を懐かしむ世代も自然と取り込むような仕掛けが鏤められている。それはデザイナーの名前であったり、ブランド名だったり。80年代にカリスマ的なブランドだった川久保玲コム・デ・ギャルソン山本耀司ヨウジヤマモトなどが言葉として登場することで、この時代に青春時代を過ごした人たちには懐かしさを通り越して自分自身をタイムスリップさせてしまう不思議な力を持っている。きっと音楽や香りがその時の出来事と一緒に記憶されるように、ファッション(作品の中では『モード』と統一して使われているけど)も記憶の補助効果があるのかも知れない。


大枠のストーリーは転校してきた高校生がデザインから縫製まで自分でこなしてしまうスーパー高校生が学校の仲間と一緒にファッションショーを成功させる、というシンプルなものの中に親子の確執(祖父と父)、ライバル、経済原理、恋愛を見事に盛り込んでいる。かなりの箇所で『ポテンシャル』というキーワードが使われ、複数のサブテーマをこの『ポテンシャル』というキーワードがハブになって繋いでいる。たとえばクラスの中でいじめられ役だったワンダのイケメンとしての『ポテンシャル』に気づいたビートは彼の改造に挑む。ここがポイントなんだけど、いくら『ポテンシャル』があっても、それを引き出す人やモノが無ければ成果には繋がらない。ファッションも一緒で、いいデザインを作り上げてもそれを具現化するパタンナーがいなければただの絵になってしまうし、ライバルもお互いの『ポテンシャル』を認めるからライバルとして存在する、これらが一本の隠れたテーマのように使われていることで次々に展開される新しい出来事も一つの大きな流れの上の現象に感じ、最後までまとまり感を失わずにゴールしている。


もう一つ注目したのは「文字」によるコミュニケーション。ケータイ小説ということで意識したのかも知れないけど、部屋に閉じこもってしまった相手に自分から扉を開けさせる手段としてノートにメッセージを書いて隙間から差し出すというシーンがいくつかある。たとえその言葉は短くても当人同士には分かり合えるたくさんのメッセージが含まれていることを経験している人は多いだろう。特に感受性が強い年齢であればその意味は更に大きくなる。大人になるといつの間にか気持ちよりも頭が先に邪魔してこういった部分がどんどん欠如してくる。


 


もうすぐこの作品が原作の映画が公開されるらしい。映像が必ずしも原作に忠実とは限らないので映画化がいいのか分からないが、少なくともこの原田マハの作品は良くできている。青春ストーリーと馬鹿にせず是非読んでみて欲しい。言葉は今風でありながら大人が十分満足できる仕上がりになっている。原田マハ恐るべし。