改めてこの作品の意味を考えた 『魔笛』 野沢尚


"魔笛 (講談社文庫)" (野沢 尚)

いま手元にある講談社文庫版『魔笛』は2004年9月15日発行の第1刷である。文庫本なので単行本には無かった解説が付いている。大御所 北方謙三氏によるものである。なぜこんなことを書くかというと、もしこの第1刷の発行が1年早ければ(単行本は2002年に刊行されている)この解説の文章は違っていたはずである。そう、著者の野沢尚氏は2004年6月に自ら自身のシナリオに幕を閉じたのである。

 

実はこの作品は何度か読んでいながらこのブログには何も書いていなかった。でも、最初に読んだ時に文章は残っていて、その時にはこんな風に書いていた。

もう一つの「眠れる森」を思わせる作品だった。作品の内容ではなく、「中之森」というキーワードが野沢作品を読んだ人には思い浮かばせる仕掛けが施されている。語り手の照屋礼子は非常に自虐的な精神の持ち主であるが、ある意味、野沢氏自身かも知れない。

文庫版のあとがきを担当している北方謙三氏の文章は心に響く文章だった。魔笛が乱歩賞に応募される前の年から野沢作品に触れ、この翌年に乱歩賞を受賞。そうそう、この時の北方氏と大沢氏の対決(破線のマリスか、川の流れの下で)もあった。北方氏曰く、映像に出来ない文章と緊張感、今なら「24」のような手法で実現可能かも知れない。

おそらく魔笛を書いたのが96年だとすると、眠れる森を書いていた頃とほぼ同時期であろう。眠れる森は98年にドラマとして放送されている。

 

今回読んだ後でもいつもの書き方であればある程度同じように書いていた気がする。が、何度も同じ作品を読む、いや浸るとそれまで気付かなかった点を新しく発見することもある。例えば主要登場人物の一人 安住籐子(あずみとうこ)とドラマ『氷の世界』の主人公 江木塔子(えぎとうこ)とは字は違えども韻は同じで、『氷の世界』は『眠れる森』の後に書かれたことを考えると書かれた時期はかなり近く、この名前に何かしら思い入れを感じてしまう。

もう一歩深く考えてみると、氏自身がこの作品の中で照屋礼子であり、安住籐子だったのかも知れない。

 

この作品はどちらかと言えば作家 野沢尚ではなく、脚本家 野沢尚の陰が強く出ている作品である。というのも、乱歩賞作品『破線のマリス』の前年に乱歩賞に応募された作品に手を入れられて刊行されたものであるため、非常に精密な構成の文章に仕上がっている。時間軸もまた描写方法にしても読み手が想像する映像をかなり限定し、固定するような表現箇所が多い。それだけブレを小さくしたい思いが強かったのだろう。それが作風にもなっているわけであるが・・・。

山場の爆弾処理をするシーンは相当な緊張感が伝わってくる。人によっては息苦しささえ感じるかも知れない。もし映画やドラマの世界であればカット割りやBGMで加工ができる部分を敢えて文字だけ、それも1カメ映像と同じ方法を用いながら緊張感を維持させる。このシーンのその一文を読むためにこの作品すべてを読んでもきっと後悔しない。