『N』が誰かなんて気にする作品じゃない! 『Nのために』 湊かなえ




"Nのために" (湊 かなえ)


『本が好き!』主催の『往復書簡』リアル読書会がきっかけでこの本を購入した。購入したのは読書会の後すぐだったけど、この時期になってしまった。


 


まず過去に読んだ『告白』や『往復書簡』に比べてメッセージ性が高い作品という印象を受けた。登場人物の目線の『語り』で話が展開していく手法は彼女がお得意とする部分ではあるが、それだけではなく新たなチャレンジをしている感じがある(『往復書簡』は『語り』ではなく、手紙という方法を用いて同じようなアプローチをしている)。それは『愛と村社会』と受け取った。


 


主人公は杉下希美と安藤望でお互い小さな島出身ながら都会の雑踏の中に生きている。築30年以上経過しているアパートに住み、台風による床上浸水という災難がきっかけでお互いを知る。同時に避難場所となった西崎真人とも知り合うことになる。同じアパートに住んでいる以外は全く共通点が無いように見える3人には重くのしかかる過去があり、直接は話さないのだがいくつかの出来事を通して感じ取っていく。真実は徐々に明かされていく流れなんだけど、見た目と違って(ストーリーから感じ取れる)強かに考え、計画する杉下希美はある部分、著者の湊かなえの心の一部なのではないか、という感じすらする。


ストーリーの多くは3人が同じアパートに住んでいた時代プラスαが中心で、その時代を回想する10年後(現在)で構成されている。それぞれの時代で『真実はなにか』というテーマが置かれているが、あまり言及されていないことが面白い。つまり、本当の真実よりもそれぞれの人にとっての真実の方が優先されている。現実の世界で考えても、過去の出来事で思っていたことと真実が違っていようがその過去は変えられないので、小説としては肩すかしを食らったような感じがするけどこちらの方が現実感がある。


最後のシーンは読み手によって判断が分かれるぐらい微妙な表現がされていて、ここは複数の人の意見というか、感じたことを共有できたら面白いと思う。


 


少し本書のストーリーとは離れて『愛と村社会』について考えてみたい。僕は島出身じゃないけど、小中学校の学区の半分以上が農家だったので人の流動性が低く、社会としては非常に近い。そのため、9年間、同級生は一緒で、僕は違うけど中には9年間同じクラスだった人たちもいる。こういう社会では同学年だけではなく、上下それぞれ3年ぐらい(つまりそれぞれの兄弟の幅ぐらい)は小さい頃からの素性を知っているような感じになる。ほとんどの親の仕事も知っているし、誰が勉強できて、誰が得意じゃないことも子供社会だけではなく、大人社会も含めて周知の事実になっている。だから、人によっては常にどこか閉塞感のようなものを感じていたことだろう。この小説の主人公たちは物理的に隔離(?)された島で同じような閉塞感を感じ、もっと別の世界で生きたい、という心理がモチベーションになっている。


『暴力』、『苦痛』そして『罪の共有』といった普通に考えれば『歪んだ愛』が随所に出てくる。『歪んだ』と書いたが本人には歪んでおらず、逆に受け入れ『真の愛』として認識されている。だからこそそれぞれの結論を受け入れたと思っている(それぞれの結論は読んでのお楽しみ)。


 


ネット上で見る本書のレビューはどちらかと言えば批判的なものが多く見受けられる。もっと深く読んだらこの作品が凄いことを認識できるんじゃないか。湊かなえはまだまだ成長途中の気がする。


たまたまだけど、これと並行してこの作品を観て、妙に考えさせられた。




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