今年はどんな年?


いつもこのブログを見ていただいている方々、明けましておめでとうございます。今年も何か気になったことはできる限り文章に残していきたいと考えていますので引き続きお付き合いくださいませ。


 


普段からあまりTVを見ない生活のためか、子供の頃に感じていた『お正月らしさ』という感じは非常に薄れている気がします。朝はお雑煮を食べ、初詣に足を運びながらも、スーパーやコンビニはいつも通りオープンしているし、食べようと思えばファーストフードもファミレスも普段と変わらない営業をしています。破魔矢や福袋を持った人と出会うと少しだけお正月なんだな、と思いつつも、近くの川沿いをジョギングしている人も多く見かけ、それぞれの人がそれぞれのスタイルでこの時期を楽しんでいるように見えました。


年賀状は昨年宣言したとおり一枚も書いておらず、しかしながらいくつかはいただいてしまったので何か違った形でお返事はしようと思っています。きっとメールアドレスが分かる人にはメールを、そうでない人にはお手紙を出す形になるのかな・・・。今のようにインターネットを利用したコミュニケーションが無かった時代においては年賀状は大きな役割を果たしていたけど、簡単にメールで連絡がつく、あるいはFacebookのようなソーシャルメディアで普段の状態が分かるようになってくると葉書一枚に多少のコメントを書く意味はあまり無いと思っています。『そういうものではなく・・・・』という反論もあるでしょうが、それながら葉書程度ではなく、手紙として出した方が余程その理屈に合う気がします。過去において僕も多くの人への年賀状のコメントに『今年は会いましょうね』とか『近いうちに飲みに行きましょう』と書いてきたけど、実現率はどうでしょう10%程度じゃないでしょうか。そんな社交辞令であれば、今の時代にフィットした形の方がスマートなのではないでしょうか。中には先輩や恩師の方もいるので、そういう方には手紙にしますね(僕は)。


 


新聞はいつも通りに分厚いバージョンでしたね。記事も多いのですが、それ以上に広告が多く、一通り目を通してみると全面広告を出している会社の方がメッセージがなく、『お付き合い』なのかな、と変な勘ぐりをしてしまいます。一番印象的だったのは雑誌「文藝春秋」を電子版で出す、という広告でしょうか。文藝春秋社は積極的に電子コンテンツを出していますが、「文藝春秋」を購読している人が電子デバイスで読みたいかと考えると若干疑問が残ります。同社で言えば「Number」は分かります。が、文芸誌は飛ばしながら読むものではなく、また検索機能が付くことで大きなメリットが生まれるものでもありません。デバイス、インフラなどを含めて電子書籍や電子出版の流れは大きくなってきてはいますが、「文藝春秋」の電子化には残念ながら顧客の姿は見えてきません。


技術の新旧ではなく相手に『共感』を得られないものはどんどんジリ貧になっていく、そんな一年になるのではないか、と感じています。一年後、今日のエントリーに対するコメントがどうなるか楽しみです。