緊張感を感じながら、心の揺らぎを感じながら 『往復書簡』 湊かなえ




"往復書簡" (湊 かなえ)


この本は『本が好き!』から献本いただきました。


 


『告白』で大きな話題になり、以降の創作活動にプレッシャーがかかる中、この『往復書簡』は全くそれらを感じさせず、そして新しいアプローチで期待を裏切ってくれた。多くの人が『手紙を書く』という行為が日常からなくなり、PCやケータイのメールでいつでも好きな時に相手に意志を伝えることができるようになった現代で、『手紙』が持つ複数の可能性を用いて切り込んでいる。当然のことながら『手紙』にはリアルタイム性がないため、いくつもの箇所で書き手の判断が下される。一通り書き終わった後、読み返してみて世の中から抹殺された手紙もあれば、封印された後に気が変わって書き直した経験がある人も多いだろう。つまり、書き終えた後、封印する際、投函する時、と気持ちの大小はあるにせよ、書き手が納得しなければ手紙は書き手の元を離れないわけである。そう考えると、本書の手紙のやり取りはそれぞれ幾たびの書き手の納得の上に存在しているものと言える。


 


『往復書簡』は3つのエピソードをタイトルから想像がつくように手紙のやり取りでストーリーが展開される構成になっている。『十年後の卒業文集』と『二十年後の宿題』には関係性があり、『十五年後の補習』は単独のエピソード。


『十年後の卒業文集』では高校の同級生の結婚式がトリガーになり、高校時代のある出来事に対する謎解きを手紙のやり取りで紐解いていく。面と向かって言えないことも手紙なら素直に言える気持ちもあり、逆に手紙だからこその『嘘』も使いながら真実を追求する。追求の手は複数の同級生に渡り、一つ一つ裏を取り、逃げ場を塞いで詰めていく言葉には手紙の文字に込められる柔らかさとは別にドライで容赦しない気持ちを感じ、通常の小説とは違う緊迫感を味わえる。『告白』で会話を多用することでストーリーの中に緊張感を作り出したように、今度は手紙という非リアルタイム、非同期型のコミュニケーションを利用することで同じような効果を生み出している。とうとう真相を究明した後には予想外の事実に知ることになる。


 


『二十年後の宿題』では『十年後の卒業文集』で登場する先生が主人公になる。恩師の教え子の『今を知りたい』という依頼に応えながら、その報告を手紙にしたため、手紙のやり取りになる。『十年後の卒業文集』と違うのは手紙のやり取りが一対一で、主人公の先生がリアルで会った内容を中継役として手紙を書いている。恩師から見れば主人公の先生も先生が会う教え子たちも同じ教え子(学校は別)という設定が興味深い。学年が一緒で同じ恩師に学んだもの同士という共通項と通っていた学校は別、という重ならない要素が『会う』という場に微妙な距離感を作る。当然、そこには真実だけが存在するわけではなく(事実は把握できても真実とは限らない)、複数の人に会うこと、そして恩師とのやり取りの中から真実が融け出してくるようになっている。この手法は著者の湊かなえ氏が得意とするところだろう。そして最後の面談で恩師の本当の目的に遭遇する。こちらは緊張感よりも心の揺らぎを感じながらいつの間にかページを捲っていた。


 


『十五年後の補習』は単独ながらもサスペンス要素を強めた作品に仕上がっている。中学時代起きたある事件をきっかけに記憶の一部を失った彼女と海外の赴任地から手紙のやり取りする。手紙だからこそ素直に書けることがやがて記憶を取り戻す道しるべになっていく。記憶が封印されている、という部分では一瞬『眠れる森』(ドラマ・野沢尚脚本)を思い浮かべたが意図的に封印された訳ではないため、同じモチーフではない。真実をお互いに認め、記憶の封印が解けて初めて二人の心が通じ合ったがその結果は描かれていない。それは読み手に預けられている。


 


3つのエピソードを読み終えて何とも複雑な心境である。もしかしたら知らないことが幸せだったかも知れないし、真実を知ったから本当の気持ちが理解できたのかも知れない。正解がないゲームに足を踏み入れてしまったような感覚である。しかし、作品の出来は素晴らしく、『この後のストーリーを知りたい』と思わせる著者の筆力にはただただ感心させられる。手紙ならば、『この小説を読めたことに感謝します』と書き出すかも知れない。