真実は語尾に宿る 『インタビュー術!』 永江朗




"インタビュー術! (講談社現代新書)" (永江 朗)


『インタビュー術!』は随分と前に読んでいてブログに書いているつもりでいたんだけどどうも気のせいだったようだ。まあ、いつも通り、気になったところには付箋をしているので改めて付箋の前後を読み返してみた。(良い意味で)寝かせた状態による熟成があるかも知れない。


 


多くの人は本格的なインタビューをする機会は少ないと思うが、仕事や地域の活動などの中では誰からに質問形式で話を聞くケースは意外とあるだろう。それらはインタビューと言われたり、取材と称したり、またはヒアリングという場合もある。著者の永江氏はライティングやTV番組など構成する際のインタビューをメインに書かれているがいろいろな部分で『なるほど!』と思わせる部分があったので、その辺にフォーカスして考えてみたい。


 


まず本書の構成だけど、



第一章 インタビューに出掛ける前に


第二章 インタビューに行く 話の聞き方、まとめ方


第三章 インタビューはこう読め


ブックガイド


となっていて、フェーズ毎に例を出しながら話が進む。面白いのがハウツウ本ではなくノンフィクション作品としての完成度を保っている。まず第一章の準備のところでは、



インタビューと取材は似ているけど少し違う。


ひと言でいうなら、インタビューの主役はインタビュイー(話し手)の言葉である。それに対して取材は、インタビュイーが話す内容や意味が主役となる。言葉が主役だからこそ、インタビューの重要な部分は、できるだけ話し手自身の言葉で語ってほしいとインタビュアーは思っている。


(本当の文章はもう少し長いけど、僕が短縮しています)


この発言は非常に重要で、インタビューは『インタビュイー(話し手)の言葉』に価値があると説いている。つまり、読み手には既知の事実であってもインタビュイーの言葉であることがポイントだということである。


 



テレビのインタビューには田原総一朗型と黒柳徹子型がある。


田原総一朗のように相手の立場を極端な「白」、「黒」の役割を与え、追い詰めて言葉を引き出す方法と黒柳徹子のようにホスト/ホステスのように引き出すやり方がある。これはTVというメディアの特徴を活かしたやり方だと評価している。それは視聴者が望む踏み込んだ言葉や限られた時間の中で引き出す、ということを指している。


 



インタビュアーは限りなく匿名的な存在だ。


しかし、そうやって社会に出た話し手の言葉は聞き手が恣意的に発した質問によって引き出されたものであり、実際のインタビューの中に発せられた言葉から聞き手(あるいは編集者やディレクター)が恣意的に選び出したものであり、そしてときには聞き手(あるいは編集者やディレクター)が恣意的に並べ替えたものである。


これはインタビューに限らず、情報の受け手として念頭に置いておかなければならない。直接/間接を問わず、情報は『編集』されている。


 



インタビューには不協和音も必要だ。


予定調和な回答を引き出すだけではなく、時には意外な言葉を引き出すための演技も必要だ。


一方では、シビアな発言もある。それがこれである。



アドリブがうまくいったからといって、それを原稿に反映させるかどうかは別の問題だ。ついアドリブ部分を使いたくなるが、インタビューの目的やそのページの位置を考えると、しょせんアドリブは枝葉でしかないことも多い。そのときには思い切って切り捨てる。だが、切り捨てても、必ず原稿のどこかには反映されている。


 


そして、究極のひと言はこれ。



インタビューでは聞き手・話し手双方の総合力が試される。いちばん必要なのは・・・教養?


つまり、インタビュイーの言葉のいろいろな角度で解釈できる経験、知識、そして判断力が必要であるということだろう。終盤に山際淳二の『江夏の一球』の例が出てくるが、これは文章力以前にインタビュー力が威力を発揮している。かつて僕もこの文章を読んだ時にはっきりとした映像でTV前で画面を見ていた自分自身を思い出した。


作品とも言える『インタビュー術!』は多くの人に読んでもらいたい一冊である。