本当の理由はそうなのかな 読売新聞『いきなり「文庫版」 理由は』 2010年10月8日



いきなり「文庫版」 理由は


ミステリー作家の東野圭吾さんの新作を「いきなり文庫」とうたって、文庫版で出す試みが話題だ。単行本で数十万部を売り上げる人気作家が、最初から廉価版で出すのはなぜ?


 


この本はスキー場を舞台にしたサスペンス小説「白銀ジャック」。実業之日本社文庫の創刊時の目玉として5日に刊行された。小説は雑誌や新聞の連載が単行本として出た後、読者は約3年後の文庫化まで待たされるのが普通だが、今回は人気作家では例外的に雑誌連載を最初から文庫化。「今一番人気のある東野さんならまず単行本で」という常識を覆した形だ。


 


東野さんは「超格安で楽しんでいただくため」、「(この本を読むのに)電子ツールは不要」などとPR用冊子で狙いを説明。単行本なら1700円近い定価だが、今回は680円。初版40万部で100万部を目指すという実業之日本社によると、東野さんは、高価な単行本で出すより文芸書は文庫を主流にすべきという考えを以前から持ち、自ら提案してきたという。光文社文庫から来年1月に出る東野さんの短編集も「いきなり文庫」化される。


 


こうした動きの背景にあるのは、出版不況の中で文庫が比較的堅調なこと。昨年の書籍全体の売り上げが対前年比4.4%減であるのに対し、文庫は2.7%減にとどまった。出版科学研究所の須藤真帆研究員は、「単行本は買わず、値段が安く携帯も便利な文庫になるまで待つ読者が増えており、文庫が出版界の主戦場になりつつある」と語る。


 


その中で、文庫で最初から早く安く読者に届けることを狙った、佐伯泰英さんらの書き下ろし時代小説や若者むけのライトノベルも、この数年勢いを増している。今年、書き下ろし文庫に本格参入した文春文庫の柏原光太郎編集長は、「社会の動きが加速する中で雑誌連載から単行本を経て文庫化まで5年かかるペースでは、読者の好みの変化に追いつけない小説も一部で出てきている」という。


 


また、通常、単行本より安く売られる電子書籍にも、文庫は値段で対抗可能だ。ただ、読者には歓迎すべき動きでも、「いきなり文庫」は作家の収入減につながる上、直木賞などの文学賞の候補になりにくいデメリットも。実業之日本社文庫の高中佳代子編集長は、「一度は上製本の単行本で出しておきたいという思いも作家には強い。今後手探りで文庫の可能性を探っていく」と話している。


 


(読売新聞 2010年10月8日)


 


朝、新聞でこの記事を読んだ時から違和感があったんだよね。文庫の書き下ろしは以前からあった手法だし、雑誌→単行本→文庫本というビジネスモデルが単に通用しなくなってきただけの話じゃないのかな。


 


僕は比較的に本を読む方だと思うけど、文芸書の単行本はほとんど買わない。一番の理由は携帯性が悪いからだ。僕の生活の中での本を読む場所は、「電車の中」、「喫茶店」、「ベッドの上」がほとんどで、中でも通勤や移動中の「電車の中」は読む時間の多くを占める。「電車の中」で読むことを考えるとカバンにその本を入れ、持ち歩く必要があり、その重さや満員電車の中で単行本を広げるスペースがないことを考えると全く現実感がない。


一方、ビジネス書の場合は拾い読みや必要な部分をメモしたりするので「電車の中」で読むよりも時間を作って「喫茶店」で読んだりする方が多い。文芸書の場合には拾い読みする意味がないので、どうしても頭から順番に継続的に読んでいく必要があるので携帯性は重要なポイントになる。


もし今回のように文庫書き下ろしを積極的に出す、という決断をするのであれば、主要な読書がどこで読んでいるかを調査して検討すべきなのではないかと思っている。仮に東野圭吾の『単行本』作品を『買う』人はどこで読んでいるのか。ここにもポイントがあり、『買う』人であって『読む』人ではない。文芸書の単行本は図書館で借りる人も多いだろうから、必ず『買う』人の行動を捉える必要がある。もし都市部に住んでいて、僕のように電車の中で読むことが多いのであれば文庫は重宝されるだろう。併せて、東野圭吾の文庫を『買う』人の行動もチェックする必要があるだろう。この二つの結果を合わせてそれなりの数字が見込めるのであれば文庫書き下ろし化は意味があると思う。記事にあるような書籍全体の売上前年比や文庫販売額の前年比は全く意味をなしていない。


 


僕の中の経験で、雑誌で読んで単行本を購入し、その後に文庫も購入した作品もある。このケースは雑誌で読んでいる時にその作品が面白く感じて通して読みたい、と思って単行本を購入。その後、時間が経ってから再度読むために文庫本を購入した経緯がある(前提として、単行本はその前に売ってしまっている)。良心的な出版社であれば、雑誌から単行本にする際に手を入れており、文庫化する際にも時代にそぐわくなった部分に手を入れていたりする。オリジナルのままで・・・という意見もあるだろうが、時代の流れを反映したような作品は手を入れた方が読み手に変な違和感を与えないので僕は手を入れるべきだと思う。


しかし多くの作品はオリジナルを単行本→(ノベルス)→文庫とメディアタイプだけを変更して、収益を確保する方程式に慣れてしまっている。それが当たり前になってしまっているため、多くの読者は文庫化された時に購入する。必ずしも価格だけの問題ではなく、先に書いたような利便性も大きな要因だろう。もし実際に文庫本を購入していている読者の多くが電車通勤しているような都市部であれば単行本を経由せずに最初から文庫本で勝負しても勝算があるだろう。そろそろ出版業界も『事実』に基づいた判断をすべきなのではないか。