相手の立場で考えるということと『付加価値』



薄くて上品な茶わんを焼く腕利きの陶器師が、殿さまの茶わん作りを命じられ、透き通るほど薄い高級品を納めた。後日、殿さまに呼ばれた陶器師は、おほめの言葉を期待したが、用件は苦情だった◆薄いため、持つ手が熱くてかなわないという。「いくら上手に焼いても、しんせつ心がないと、なんの役にもたたない」と諭され、陶器師はありふれた厚手の茶わんを作る普通の職人になった。


読売新聞 2010-05-24 『編集手帳』


新聞の中でもコラムは昔から好きな部分。社説ほど堅い内容ではないけど、季節感や時事ネタをどう料理するのか書き手の力量と感性がそのまま表現される。そして、決まった(あるいは限られた)文字数でメッセージ性を盛り込む必要がある。通常の新聞記事のような文体で書いても評価されない。もしかしたら、記者を長く続けた人には結構大変な仕事なのかも知れない。


 


今日のコラムでは『使い手の立場に立って考え、そして役に立つものでないと価値がない』という例である。そして日本のお家芸と言われてきた家電産業の苦言への結んでいる。家電、あるいは製造業に限らず、『付加価値』という言葉をよく耳にする。しかし、その『付加価値』は提供者側が考える『付加価値』で、利用者側のものでないことが多い。身近な例は日本のケータイ電話。何でも付いていて、技術的には最先端のチップセットをコンパクトに、そして消費電力を押さえる、すごい努力の固まりがAppleやHTCなど海外勢にどんどん押されまくっている。きっとデザインする時の対象イメージが違うんだろうな。


 


近頃、UI(ユーザ・インターフェース)って大事だなって思うことがよくある。決してコンピュータやガジェットとかだけじゃなく、何かの容器だったり、店舗のレイアウトだったり、と。朝、シャワーを浴びて、髪の毛をセットする時に使うワックスが入っている容器のフタ部分はネジ型なんだろう。べたついた手でひねらなくちゃいけないのは避けるべきなんじゃないかな。お店でも通路の幅と導線を全く考えてなく、スペース効率だけで設計しているところは居心地が悪い。実はその部分って、ちょっとした工夫や時間を掛けることで解決できる部分も多いんじゃないかな、と思う。AppleのUIぐらい徹底するには時間もコスト莫大だと思うけど、Appleはそこに価値があり、本当の『付加価値』をもたらしている。


『誰のために』、『何のために』が無いもの(曖昧なもの)は評価されない、そういう価値観が広まって、より『いいもの』が世の中に増えていくといいな。