『大人かわいい』って違和感がある



[JMM584Ex3]「ラスベガスで休暇」NEW YORK, 喧噪と静寂


肥和野 佳子:国際税務専門職、ニューヨーク、マンハッタン在住


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■ 『NEW YORK, 喧噪と静寂』第20回


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「現代女性のトレンド〜「男のように考え、男のように振舞う」はもう古い〜」


 


日本語放送で、5月13日にNHKの「クローズアップ現代」で「大人かわいい」というテーマの番組を見た。「大人かわいい」というのは、独身であろうが子持ちであろうが、30歳を超えた女性も、10代やせいぜい20代前半の若い女性が着るような、かわいい趣味の服、すなわち、かわいいリボンのついた洋服やふりふりのフリルのついた衣装や、ひらひらのミニスカートを上手に着こなして、「30過ぎても、かわいいルックで何が悪いの?男にもてたいから男うけする服を着るんじゃない。かわいい服そのものが好きなの。年齢に縛られたくない。」という自己主張をもった流行だそうだ。


 


そういう「かわいい」ファッションの発信は実に日本独特でおもしろい。ファッションはともかく、日本の「かわいい」グッズが世界の女性に評判が良いのは確かだと思う。日本に帰省すると、ほんとうに街のあちこちに愛らしいグッズがたくさんあって、つい買いたくなる。


 


近年、女性が「かわいい」が好きで何が悪いと自己主張できるようになったのは、女性に「かわいさ」が求められる昔の男尊女卑への逆行では全くないと思う。むしろ、日本の女性も「自然な」自分を出せるところまで、男女同権が進んできたのかなあと感じる。現代は、「男のように考え、男のように振舞う」というのはもうすっかり古臭いフェミニズムになってしまっているのだ。


 


米国で、もう17年近く前から感じているが、米国の女性たちの多くは「男のように考え」のところはともかく、「男のように振舞う」ことはちっともしていないのだ。プロフェッショナル・オフィスでも、90年代のはじめごろは、いわゆる、男と対等な職務にある女性は、なめられないように、かちっとしたビジネススーツが普通だったが、90年代の中ごろには、女性らしいカーディガンとか、ブラウスとかもありだった。レディー・ファーストを素直に受け入れ、職場で子育てやファッションなどいわゆる「女話し」を普通にし、野球やお酒などのいわゆる「男話し」についていけ


なくても気にせず、たいして興味も示さない。もちろん仕事上では職務も権限も男性と同等だが、職場で女性が「女性」のままで働いているなあと感じる。


 


98年ごろにNHKが放映して日本でも人気があった「アリー・マイ・ラブ」という番組があったが、あの主人公のアリーは、トップレベルのロースクールを卒業してボストンの弁護士事務所で働く30ちょっと過ぎの独身女性弁護士だったが、法廷のとき以外はいつもやわらかい服を着ていた。会話も女性がよく話題にするような内容が多く、決して男のように振舞う女性ではなかった。


 


「男のように振舞う」の代表格はやはりヒラリー・クリントンだろう。話し方といい、立ち振るまいといい、服装の趣味といい、そういう感じだ。昔のフェミニズムではあれが普通だった。「女性性」の否定的な部分があり、「女は作られる」と言われていた。しかし、その後の脳科学や遺伝子研究の発達で、男女の種としてのフィジカルな性差が一定部分存在することが明らかになるにつれ、そのことはフェミニズムではあまり強くは言われなくなった。もちろん一人一人の個人差が種としての男女の差より大きいことはよくあることで、社会からセクシズム(性差別)を排除する方向に変わりはないが。


 


たしかに社会がある程度「女」を作るところは今でもあるだろう。しかし、かなりのレベルまで男女平等が進んだ米国で、女が女をして何が悪い、という堂々たる風潮は、今現在あたりまえのように生活に入り込んでいる。日本の「大人かわいい」とは少し違うけれども、似たような自己主張なのである。


 


なにかわからないけれど、一般的に種としての女性が「これが好き」と感じるものがある。たとえば、ピンク色、フリルの洋服、編み物などの手芸、愛らしい人形など、従来から女性的といわれてきた分野のものだ。なにか心をぐっとつかまれるものがあって、素直にそれを認めてしまう。認めてしまってもかまわない。仕事も手に入り、経済力もつけて、社会は女性を差別的に扱うことは少ない。もう男のふりをする必要もほとんどなくなってきたということだ。これは決して逆行ではない。前進と思う。


 


共和党の副大統領候補に選ばれて一躍有名になったサラ・ペイリンも、米国ではこういう人もありなのかなあという時代を感じさせるものがあった。彼女はフェミニズムからは極めて評判が悪かった。ゴルフで言えば突然16番ホールから出場して、公式戦なのに堂々とレディース・ティーから球を打ち、中味を伴わないのにあわよくば優勝を狙ったようなものと受け止められていた。副大統領としての資質が不十分とマスコミでもたたかれた。しかし、ワシントンのエリートではない「普通のホッケー・マム」が副大統領候補でもいいじゃないかと一定の人気があった。現在でもサラ・ペイリンに対する一定の人気は確かに存在するが、政治家としての人気というよりは、一人の有名人としての人気が高いように思う。次期大統領選に出馬かなどと言われることもあるが、冷静に考えると副大統領としての資質が不十分と疑われた人物が、あの厳しい大統領選で生き残れるとは思えないし、そもそも莫大な集金力を彼女が発揮


できるとも思えない。米国民の過半数が本気で彼女を大統領にしたいと思うことはないと思う。


 


今、米国をあらわすもっとも象徴的な女性は、なんといってもミシェル・オバマだと思う。米国のウィキペディアによると、彼女はシカゴのサウスサイド地区の経済的に豊かではない家庭で育ち、難しい入学試験に合格した学業成績優秀者が集まるシカゴのトップ校の公立高校に入学。その後、東部の名門プリンストン大学に進み1985年卒業。そしてハーバード大学ロースクールを1988年卒業。弁護士としてシカゴのローファーム勤務時代にバラック・オバマと知り合い1992年結婚。1993年以降は非営利団体での仕事に従事し、2006年の確定申告によると、ミシェル・オバマの勤労所得は$273,618、バラック・オバマの米国上院議員としての勤労所得は$157,082。


 


ヒラリー・クリントンに決して劣らない経歴や潜在力を持っていると思うが、ヒラリーとは違って、政治の表舞台には決して立とうとはしない。キャリアウーマンでありながらも、女性として自然に生きている感じがする。仕事上のキャリアを積もうと思えばやれるけど、今は家庭を大事にしたい、自分の選択でやらないというライフスタイル。それがなんだかかっこいい。それも、またやりたくなったらいつでもやれるというバックグラウンドや自信があってのこと。


 


たしかに女性が一時家庭に入っても、また第一線に戻れる社会が米国にはある。女性差別が少なくなり、一昔前のように、いばらの道をしゃかりきになって「男みたいに」働く必要もない。ミシェル・オバマはそんな豊かになった女性の時代の象徴的存在で、米国女性のロール・モデルの一つになっていると思う。「ナチュラル・フェミニズム」とでも言おうか、いまのところそういう言葉は社会で使われているわけではないが、いまどきのフェミニズムの風を感じる。


 


正直、この言葉は知らなかったし、この番組も見ていません。が、僕には違和感があります。僕の中での『大人』の定義は『自分自身を理解している人』で、かわいい服が似合う人は単純に『かわいい』でいいんじゃないのかな。そこには年齢が関係なく、20代でも30代でも、また40代でも『かわいい』はあるだろうし、その人の雰囲気にそぐわないファッションは決して『かわいい』という表現にはならないだろう。