技術は全体から見ればほんの一部に過ぎない 『宮大工の人育て』 菊池恭二


"宮大工の人育て (祥伝社新書 104)" (菊池 恭二)


なんでこの本を買ったのか全く理由がない。読み終わったいま、非常に良書であったことに感謝。大工さんの仕事がこれほど多岐に渡っていろいろなことをこなさないと成り立たないことを改めて理解した。板をノコギリで切り、カンナをかける技術は大工の仕事の中ではほんの一部で、木の見極め方、人の使い方、施主とのコミュニケーションなど現場で見る仕事などはほんの一部に過ぎない。そう言えば、学生の時に可愛がってもらっていたお鮨屋さんの大将に聞いたことがある。



どれぐらいの期間で鮨屋として握れるようになりますか?



器用な人であれば、2-3ヶ月でそこそこの鮨は握れるようになるよ。でも、鮨屋をやっていくことと、鮨を握れることは別の次元の話で、鮨屋をやっていく中で鮨を握れることは些細なことなんだよ。


当時はその意味がよく分からず、ときどき寄せてもらってはお客さんとの話題や間合い、魚にまつわる話、お客さんを迎える準備など目に見えない部分を含めて多くのプロセスがあり、知識や経験が必要なことを徐々に理解できるようになった。


著者であり、宮大工の菊池さんの姿にも同じような感覚が生まれた。今時の家大工の仕事はプラモデルを作るような、予めパーツの状態になるまで工場で加工され、現場では組み立てるだけになっている。僕が子供の頃に見たのは現場できれいなカンナくずをはき出すカンナがけがあったり、大工さんが糸を弾いて墨付けしたりする仕事だった(そう言えば、実家の図面は親父が本を読みながら書いたようだけど、30年以上なんとかなっている)。今はそんな仕事は宮大工かも知れない。


『師弟制度』というとどんどん姿を消しつつある方式だけど、『人を育てる』、『技術と一緒に考え方や文化も伝える』という観点でみると良い制度だと思う。そうなると、誰の下で学ぶかが重要になるけど、菊池さんの話を読むと大工は修行が明けると自由に移れるようだ。もちろん、棟梁には筋を通してだが。ある意味ではフリーランスで、良い仕事をするには仕事の腕だけではなく、『人間力』が無ければ自由の幅は自然と狭くなり、チャンスに巡り合うことも減る。そのため、良い仕事をする人=人間力が高い人になっていく。


宮大工は今と周りだけを気にしていれば良いのではなく、1000年後の状態、数十年、数百年後の修繕時の大工さんに伝えることも想定している。業界を問わず、仕事の仕方に変化をもたらす機会になる、そんな菊池さんの話をのぞいてみませんか。