視点を変えるという意味 『パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?―ミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会』 廣田裕之


"パン屋のお金とカジノのお金はどう違う?―ミヒャエル・エンデの夢見た経済・社会" (広田 裕之, 子安 美知子)


手にするきっかけは先日読んだ『カリスマ編集者の「読む技術」』 の著者 川辺秀美さんが編集者として携わった作品だから。話の中心である『ミヒャエル・エンデ』についてはほぼ基礎知識がないし、『モモ』についても学級文庫にあった気がするけど読んだこともない(その頃は全く本を読まなかったので)。ただ、小さい頃にアニメの『ジムボタン』はよく見ていた。まあ、この本を読むまで原作がエンデだったことも知らなかったんだけど。


 


本書は非常にキャッチーなタイトルにもかかわらず、内容は非常に真面目な内容にまとまっていて出版された当時よりも今の方が多くの人に理解されるのではないか、と思うところが多い。一貫してエンデの『お金』に関する価値観について述べられ、付随する社会や環境、国といったものと対比しながら展開されている。資本主義による限界、社会主義がどうして崩壊したのか、格差がなぜ発生するのか、お金とは何なのか、と難しいテーマを非常に分かりやすく、例を用いて説明することで課題の原因に迫ると共にエンデの価値観を表現している。


 


いくつか僕の中で大きく引っ掛かったポイントを抜き出しておくと、



エンデは、主観と客観という二つの世界を切り離してしまったことを問題視しています。通常、主観的と言えば「個人的な偏見が入り混じった正しくないものの見方」、客観的と言えば「個人的偏見のない公正なものの見方」というイメージがあり。この二つは相いれないものとして考えられているのですが、この二つの関係がおかしくなったことで現代社会に新たな問題が生まれている、とエンデは言います。


経済を例にこんな表現をしています。



経済の世界で言うならば、お金儲けが一番大切になります。そのお金をどうやって儲けたのかは問われません。極端に言うと、強盗をして手にした100万円も、宝くじで当てた100万円も、汗水たらして働いてもらった100万円も全く同じ価値でしか受け取られません。こうして、それぞれの人間が持っている価値観はあっけなく崩れ去ってしまうのです。


 


お金には利子がつく、ということが正当化される理由として価値が『劣化』しない、ということに特徴がある。いままで全く意識しなかったけど、『なるほど』と妙に納得してしまった。そのため、巨額の資金があれば利子だけで生活することも可能だし、それによりお金持ちとそうでない人の格差は自然と拡大する。これが格差社会の一因ということも理解しやすいし、時間でお金の価値が目減りする仕組みは面白い。これにより、お金の循環サイクルは早まるし、(不当な)格差も減るんじゃないかな。


 


偶然とはいえ、久しぶりに勉強になった本だった。