僕の中での蕎麦屋の定義

のれん


今日のお昼に近所のお蕎麦屋さんで食べている時にふと思い出したので書いておきます。


僕の記憶では小学校にあがる前からお蕎麦が好きだった。お袋に言われるだけではなく、僕自身の記憶の中にも小さい頃にせいろに残った数センチの蕎麦を指で掴んで食べるぐらいに好きだった。多分、小学校の半ばまで『蕎麦派』だったんだけど、突然『うどん派』に転向して10年ぐらい『うどん派』で、その後は『蕎麦派』を貫いている。僕の場合、真の蕎麦好きとは違って、決まって頼むものは『たぬきそば』。季節を問わず、暑い最中でも『たぬきそば』を注文する。決して、『冷やしたぬき』は食べない。通常の『たぬきそば』の汁に浸かった『なると』が大好きなんです。それから薬味としてじゃなく、長く切ったネギ。だめだ、こう書いていながら口の中は唾でいっぱいになる。


海老の天ぷらが入った『天ぷらそば』は一見豪華(?)に見えるけど、僕は注文しない。汁の味も『たぬきそば』に近くなるけど微妙に違う。それから必ず衣がとれてしまって、タダの海老を食べる羽目になるのもいただけない。やっぱり、『たぬきそば』になる。


 


社会人になってから当時の上司(といっても、役員で親子ほどの歳の差があったんだけど)が好きなお蕎麦屋さんによく行っていた。学生の頃によく行っていたらしく(その役員が学生の時だから当時でもかなり古い話なんだけど)、よく昔話を聞かされた気がする。そこで初めて体験したのが、そば焼酎をそば湯で割って、蕎麦をつまみに飲むというスタイル。若かった当時、蕎麦屋で酒を飲む、というスタイルにちょっと違和感を感じていて、それを当時の上司に話すと「時代劇を見てみろ。酒を飲むシーンは蕎麦屋だろ。」と返された。そのお店は地元の人が飲みにくる(+食べにくる)お店で、結構年配の方がいつもと同じようにチビチビとお酒を飲んでいる姿(よく見かけました)は妙に『意気』に感じたものだった。


 


僕の中の蕎麦屋の定義は『普段使い』で美味しいこと。有名なお店や高級なお店で食べたこともあるけど、決して高くなく、美味しいのが『蕎麦』だと思っている。そうですね、価格で言えば立ち食いそばにちょっとだけプラスぐらいの価格感。だって、お蕎麦ってそもそも庶民のものでしょう。特別なそば粉を使っているとか、完全手打ちで作っているって言っても、自己満足でしかないんじゃないかな。それぞれの地域で、地元の人がお腹の空きを満たす、ちょっとお酒を飲む、そんな人たちで商売が成り立つお店が僕の中の良いお蕎麦屋さん。


ちなみにのれんの写真は今日のお昼にいただいた小田急バス狛江営業所近くの『増田屋』さん。僕の好きな味。