あえてブログにアップする気持ち


昨日の会議の後に今年で退職される恩師の先生の送別会があり、その時に直接話せなかった先生にメールした内容を残しておこう。



先日はせっかくの機会にもかかわらず直接お話する時間が無かったのでメールをさせていただきます。


 


創造委員会では時間を間違えて遅刻してしまい、大変申し訳ございませんでした。途中からの参加とはいえ、気になった部分をコメントさせていただきます。


 


まず、僕自身はこの学校で過ごした3年間は本当に貴重な時間であったし、今でも質問されれば本音で推薦できる学校と思っています。理由はいくつもあるのですが、大きな部分では授業のユニーク性です。『とんき』からの帰り際に久保田先生から『覚えているよ』と声を掛けられて、即『僕も覚えていますよ。プレートテクトニクスは・・・』と口走った通り、25年以上も前に授業で学んだことは今でも身になっています(僕自身、大学では社会学を専攻したので地学はあの1年間だけです)。ちょうどチリの地震もあったので、マグニチュードから見る地震の総エネルギー量の大きさも想像がつきました。逆に受験勉強用に自己学習した内容はほとんど身になっていません。


もう一つ例を挙げるとすれば、数学の安田先生に出された連立方程式の問題をよく覚えています。連立方程式の問題なので、答えは簡単に出せるのですが、安田先生曰く『答えは出せて、また正解で当たり前。何通りで答えられるかが重要』と言われました。当時はよく分からなかったのですが、30歳を過ぎたあたりからこの意味がよく理解できるようになりました。仕事でもプライベートでもそうですが、そのほとんどはゴールが決まっていて、そして各種の制約条件(時には時間であったり、時にはコストであったり)があるために、いろいろ知恵を絞らなければならないシーンがほとんどです。つまり高校での数学とは数学的思考ができるようになるためのトレーニングであって、正解を導き出すのは部分的な問題である、ということを理解し、今では部下にも子供にも同じような話をエピソード的に利用しています。


高校時代の教育というのは、なにも(世間一般で言われる良い)大学に入るためのものではなく、今後の社会生活の中で知恵を絞るために必要な知識を経験する場所や時間だと思います。ですから、満足度調査も身近で短期的な視点で見るのではなく、『どういう人材を育てたい』のかを定義するところから始めないといつも迷ってばかりの話し合いになってしまいます。一番簡単な方法は『やらないこと』を決めることだと思います。


 


違う見方をすると、杉浦先生のように学校を卒業して即先生になられたのではなく、一度社会経験を踏んでから先生になられた先生がいらっしゃることも大きなポイントだと思います。多くの生徒はその後、先生になるのではなく、民間の会社で働くことが多いのですから。


 


文系/理系の話もナンセンスで、いわゆる文系を選択してもその表現の場所としてWebをチョイスすればXHTMLCSSを使って表現する必要があり、これらをコーディングすることができなければ意味がありません。理系であっても、せめて英語のマニュアルを普通に読めてコミュニケーションできなければ、コストが安い国の人たちに職は奪われます。日本は人口が減少傾向にあるわけですから、日本以外も相手にするビジネスに着手できるような人材でなければ多くの報酬を得ることは益々難しくなるでしょう。僕の周りでも優秀な人たちは常に努力をし続けています。ダメな人たちはビジネス書を読んで頷いているような人たちです。


そう考えると、芝浦柏で学んだ人たちが時間が経過しても『良い学校だった』と思ってもらえることが創造委員会で目指す学校ではないかと1卒業生は思っています。


 


何か必要であればお手伝いさせていただくことは吝かではありませんので、いつでも声を掛けてください。