音楽のある生活(後編)




これを聴きながら読んで欲しい。


やがて奥さんがいる生活になると部屋からは音楽が消えていった。音楽は趣味趣向の世界だから、そもそも好きな分野が一緒な訳じゃないし、間違いなくその時に聴きたい音楽はライブでもない限り違うはず。ライブと言えば、かつてレイ・チャールズのディナーショーに行ったことがあった。目の前で何かに取り憑かれたように鍵盤を叩くレイ・チャールズの姿は別世界のものをみている感覚だった。


それでもクルマの中は比較的に音楽があった気がする。子どもが生まれたからは部屋からもクルマからも好きな音楽は消えてしまった。あまりクルマに乗らなくなったせいもある。iPod、そしてiPhoneとコンパクトでいつも身近なデバイスがジュークボックスになり、いつしか通勤や隙間時間が好きな音楽を聴く時間になった。最近は子どもたちも僕が好きな音楽の一部は好きになってくれて、たまに一緒に歌ったりもする。なぜか『はじまりの歌』が好きらしい。


今よく聴く音楽は、面白いもので最近の音楽よりもかつて聴いた音楽の方が圧倒的に多い。デジタル技術のお蔭で過去の曲のリマスターが発売されたり、iPhoneを使えば映像も簡単に持ち運べるようになる。そのデジタル技術の答えはiTunesに代表されるダウンロードで手に入れる方法なのだろう。僕自身はあのビットレートに価値を感じないので、購入するのは物理的なCDだ。結局、iPhoneで聴くのだから音質的には大差ないんだけど、気に入った曲だけを購入するのはちょっと抵抗がある。全部とはいわないけど、アルバム全体を1つのテーマで作った作品に対して失礼な気持ちがある。かつてとあるバーでSadeの『Kiss of Life』がいいか、Fried Prideの『Kiss of Life』がいいかで話題になり、連続で両方かけてもらったりした。後から、作った時のコンセプトが違うのだから比べても意味がないんじゃない、という結論に達した。


"ザ・ベスト・オヴ・シャーデー" (シャーデー)


"two.too" (Fried Pride)


こうして『音楽』と書いてきたことには意味がある。お店に行けばCDはジャンルに分かれている。JPop、Jazz、Classicって。僕はアイドルの曲も聴けば、Jazzも聴くし、Rockも好き。だから、このジャンルは便宜的に分けているだけなので、好きだと思った曲を好きな時に好きなだけ聴けばいいんだと思う。それが売れている曲なのかどうかは関係なく・・・。ただある程度の環境で、使い捨てのような聴き方はお勧めしない。それを『良し』とすると、今以上に使い捨て音楽が増える気がする。いずれ時間というフィルターが良いものだけを残してくれるけど、いい音楽(人それぞれの定義で)を浴び続けた人が心豊かになるんじゃないかな。さあ、明日の朝は何で目覚めようか。