新聞に於ける作り手と生活者のギャップ


最近、新聞に関していろいろ本を読んだり、調べたりしているんだけど、新聞の購読者数が減少している原因の一つにこういうことがあることに気付いた。


生活者から見る新聞の役割

TVのニュースよりも詳しく、文字情報で好きなタイミングで読むことができる。価値はニュースであるため、別に紙でなく、ネットでチェックすれば事足りる。誰かよく分からない人の話ではなく、それなりの取材をしているはずなので、ある程度信頼出来る内容である。

関係者から見る新聞の役割

新聞の価値はニュースだけではなく、解説や特集、連載などより深く、継続的に情報を発信していくこと側面もあり、報道機関としてTVやネットとは違った役割がある。

どちらも正論らしく感じるんだけど、ビジネスの基本である『需要と供給のバランス』を考えると明らかに感覚にギャップがある。かつてゆっくりと新聞を読む時間や空間(電車の中とかも含めて)があった時には重要なメディアだったけど、そのどちらも確保するのが難しい状況に置かれ、かつ情報過多な状態の都市部の生活者によってニュース部分以外は価値として捉えられていない、というのが事実ではないだろうか。僕自身は『新聞が好き』派なので、夜帰ってからでも新聞を読む習慣があるけど、そうでない人には必ずしも必要なものでは無くなってきている。却って、情報が多いため、どうフィルターするかが課題と感じている人も多いのではないか。

 

実際に僕がTwitterを使っている理由の一つに、僕と同じ感覚と持つ人の意見(実際にはつぶやきね)だけを見る=自分の欲しい情報だけにするフィルターになっていることがある。『新しもの好き』、『試すのが好き』など、マーケティングで言えば『アーリー・アダプタ』層の感覚はフィットする。

 

それから何かを調べる時に『ネットで検索』が中心になってきているので、大量のものから『絞り込む』考え方に慣れすぎてしまっていることもあるだろう。また某ECサイトのようなスパムメールなど必要としない情報が一方的に送られてくることが多いこともあり、押しつけられる行動には拒絶反応する体質になっているのかも知れない。押しつけられるという面で言うと、新聞記事は新聞社のフィルタにかかった形でサイズが決まるため、その人が欲しいと思っている情報ではなく、新聞社が重要と思った情報が大きく扱われる。だから、ネットでのニュースランキングと実際の記事の大きさとは相関していないことが多い。結局、人は興味があることには好意的に捉え、そうでない場合には拒否する、というシンプルな反応を示すに過ぎないのだろう。だったら関心がある人のフィルターにかかったニュースならば解説だろうがサイドストーリーだろうがきっと読まれることだろう。そういう機能があれば(紙は難しいだろうが)、新聞社のサイトも活性化するんじゃないのかな。