『yorimo』に見る新聞の未来、新聞社の未来


mixbeatで去年の10月のワークショップでディベートをした時のお題『新聞社はネットから撤退すべきか』ということがずっと頭の中にあり、その後も関連するような書籍を読んだり、ニュースは敏感チェックしてきた。


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自宅で購読している新聞が読売新聞ということもあり、比較的『YOMIURI ONLINE』は見る機会が多い。理由は、新聞で気になった記事を自分のtumblrクリッピングするためである。実際、『YOMIURI ONLINE』には新聞で書かれているかなりの部分が掲載されており、記事の見つけやすさや内容のすべてか、一部かを除けば、そのほとんどを『無料』で入手することができる。一方、『日経新聞』と『NIKKEI NET』を比較すると読売よりも公開されているボリュームが少ないことが分かる。しかし、内容だけを考えると紙は数千円、ネットは無料、というかなり歪な構造を今でも続けている。この辺は長い間、腑に落ちずにいた点である。

 

産経新聞はかなり積極的にネットを意識しているのか、昨年12月から紙面のイメージをiPhoneで読むことができるアプリを提供し、今年の4月にはアプリのバージョンアップもされ、当初の「読めるには読めるけど・・・」から改善された。しかも、これも無料。実際に通勤時の電車の中でiPhoneを触っている人で、この産経新聞のアプリで新聞を読んでいるを意外と多く見かける。いずれは有料化することを考えているとは思うが、通常のネットサービス同様にユーザを増やすことを当面のKPIとしている気がする。

 

話をまた読売に戻そう。うちの子供たちは大の『ポケモン』ファンで、ここのところ連載されている『ポケモンことわざ大百科』をクリッピングしている。クリッピングといっても、はてブやdeliciousのようなネットの世界の話ではなく、リアルなクリッピング。まさにこんな具合である。


Pokemon_scrap


 

実はこの特集連載部分は『YOMIURI ONLINE』にはない。しかし、読売新聞が提供する別のネットサービス『yorimo』には展開されている。『yorimo』は『YOMIURI ONLINE』と違い、会員登録が必要なサービスである。登録時にはこのような項目を入力する必要がある。


会員情報入力:yorimo


 

一般的なネットサービスと違い、新聞の購読に関しての質問項目がある。ここがポイントなのである。つまり、新聞社の意識構造として『新聞購読』が『主』であり、『ネット』はあくまでも『従』でしかない、ということである。『ポケモンことわざ大百科』のページにいくと、こう書かれている。


yorimo_login


 

僕は読売新聞を購読しているし、長期にわたって購読しているので『yorimo』のすべてにアクセスすることができるが、もしログインしていないとこういう表示になる。


yorimo_No_login


 

逆に購読顧客であれば、子供たちがクリッピングしているようなことも簡単にネット上でできるのである。


yomimo_pokemon


 

おそらく今後もしばらくは新聞社にとって顧客とは『新聞を購読している人』であって、たとえ有料のサービスになってもネットで利用している人は『顧客』ではないのだろう。きっと口では『顧客』(ネットという枕詞が付くかも知れないが)というかも知れないが、組織の意識構造としては『新聞を購読している人』=『顧客』の定義であろう。果たして、この理論のもとで新聞社あるいは新聞業界が生き残っていけるのだろうか。おそらく答えは『No』だろう。iPhoneに限らず、Kindleにしても最新のTVにしても読むためのデバイス、情報を送信するインフラは加速度的に普及しているのである。また生活サイクル、生活スタイルも多様性を極め、選択の自由は顧客側にシフトしている。

 

僕の中では、『新聞購読』という新聞ビジネスを支えてきたモデルも本気でチャネルの1つと思った新聞社しか存続できないと思っている。朝刊や夕刊に合わせた入稿がある限り、ニュースのスピードはTVやネットには決して勝つことはできないし、雑誌のように時間を掛けて一つのテーマを掘り下げるメディアでもない。新聞の価値はソースの保証と(一定基準の)公平性だろう。そして、TVやネットのように『流れて通り過ぎてしまうもの』ではなく、過去も含めて蓄積されていること、提供情報を顧客の自由な速度で取り込むことが可能なこと、だろう。『紙』か『ネット』かは手段にしか過ぎないのである。本当に必要なのはお金を払ってくれる『顧客』をどう確保するかであって、手段の違いは関係ないはずである。『過去は過去』と認められるかどうかが分かれ道なのではないだろうか。