『無料』という名の落とし穴

Yomiuri Newspaper 20091010
そういえば、この記事をアップしておきながらコメントを書いていなかった。いろいろな意味でちょっと疑問を持った記事だった。まず子供が遊ぶうちに有料アイテムをいっぱい購入して請求されても、そのケータイを渡した親の責任であって、キャリアやコンテンツプロバイダに文句を言うのは筋違いだろう。特に今回のケースで言えば、契約者が親であり、キャリアやコンテンツプロバイダ側には実際の利用者が誰か判断するすべはなく、ルールに則って請求したに過ぎない。僕も自分のiPhoneを子供たちに触らせることがあるが、その後に異常がないかはチェックする。Safariやカメラアプリ、ソーシャルメディアアプリあたりは必ずチェックの対象にしている。実際、セカイカメラでタグ付けされたし・・・(後から、deleteしたけど)。
一方、GREE側はどうかといえば、問題のある/なしで言えば、「なし」の方に入るけど、それは『ルール』として問題がないだけで、モラルとしてどうか、という点で言えば僕は『No』。TV CMでも『無料』だけを強調して、誤解を招くような先導をしていることは否めない。実際に商品でもサービスでも無料で提供されるには某かの理由や代償があるわけで、鵜呑みにする方も悪いんだけど。そもそも常識に考えて、それなりに手が掛かっている商品やサービスを無料で利用し続けられるはずがなく、「無料の代わりに広告を見なければならない」とか、「利用情報を入手されて、マーケティングに利用される」など、提供側の利益に繋がる何かがあることは分かると思う。
ちょうどワークショップの時に河野さんが『リーガル』、『モラル』、『プライド』で判断すると・・・という話をしていたけど、PPPなど以外にも同じようなケースは結構溢れている。法的に問題が無ければ何をしてもいい、という発想はちょっと違う気がする。非対面だからこそ、『プライド』で勝負して欲しい。それが『粋』なんだけど。