考える習慣

藍音と智晴
本当に子供はいろいろなことを工夫して考え出すなあ、と感心する。藍音も智晴も夏休みに入ってたくさんの時間があるため(その代わり奥さんは大変なんだけど)、二人で遊びを考えないとすぐに飽きてしまう。僕の家にはニンテンドウDSも、wiiもプレステもない。みんなで遊べる人生ゲームやオセロ、パズル的なゲームはあるものの、基本的に個人で動かすゲームはできる限り生活に取り入れないようにしているためにいずれのものも存在しない。
僕が子供の頃は(育った場所にもよると思うが)夏休みであろうと、通常の休みだろうと友達の家に遊びに行けば、誰かしらと遊ぶことができたし、空き地で野球をするにもすぐに人数を集めることができた。それは学校のプールに行けば、その辺の約束を子供同士でできたし、そこには親は関係なかった。今は防犯上の問題や子供がたくさんお稽古事をしているためにそもそも遊びに使う時間があまり無いようだ。この辺はちょっと可哀相な気がする。
マッサージ屋さん オープン
マッサージ屋さん クローズ
そんな中、藍音と智晴は自分たちに部屋をお店に変化させ、お店屋さんをオープンした。業種は「マッサージ」。なぜマッサージなのか分からないが、結構気に入っているのか看板に書かれたメニューは日々内容が更新されていく。へぇ〜、と思ったのは、施術に対してサインを求め、施術者もサインして、更に力加減の好みもリクエストに応じている。もちろん、子供たちはマッサージなんて受けたことがないし、そういうシチュエーションを見たことも無いはず。きっとマッサージそのものはTVなどで見て、美容室の仕組みなどを組み合わせながら今回の仕様を作ったと思う。
イデアを出す≒情報の加工なので、そう考えると藍音も智晴も自然とそんなことをしているわけである。別に二人が特別なわけではなく、重要なのは「何でも揃っている環境」に置かれていないことではないだろうか。何でも揃っている環境には何かを工夫する余地がないが、二人には何かしらの工夫をしないと空白になってしまう時間がそこに存在することになる。やはり制約条件というか、不便さ、解消したいことがあるから、回避するために知恵を絞る気がする。この考えるという作業だけではなく、日々の中で見過ごしているいるようなポイントも見つめる、という点でもこの習慣は今後必要な部分の一つと思っている。この現象の一つだけを捉えて見ると大したことはないが、この考え方、アクションができることが頼もしい。大人から見ても「気づき」を得られることが多い。子供目線も侮れない。