試験に出されないことを祈る 「西の魔女が死んだ」 梨木香歩

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

何も考えずに手にして、内容も確認せずに購入した。カテゴリーで言えば、児童文学に入るらしいが決してそんな甘い作品ではないと思う。これが現代国語の試験に出たら、今の僕でも相当悩む。それぐらいいろいろな意味に取れる文章であり、狙って書いている感がある。
主人公のまいは中学生に進学し、何となく周りの仲間とうまくやれずに自然と学校から足が遠のき、そのリハビリを兼ねて外国人のおばあちゃんの家で過ごす姿が本書の大枠のストーリー。まいの家系は代々、魔女の資質があるらしく、ただし、その能力を発揮するためにはしっかりとした修行が必要であることをおばあちゃんから聞く。その話に興味を持ったまいは(実際には話よりもおばあちゃんに興味を持ったのだと思うが)、おばあちゃんとの生活を魔女修行の一環としていろいろなことを学んでいく。
実はこの作品を読んでもまいの家系やおばあちゃんが本当に魔女かどうかは分からない。最後のシーンも決して「魔女だから・・・」という訳でもない(子供が読むとそうは読まないかも知れないが)。でも、おばあちゃんが魔女修行として話す一つ一つは魔女になるためではなく、大人の女性(これは尊敬される立派な女性という意味)になるための心得を教えている。この内容は時代や地域など関係なく、人とコミュニケーションする上では絶対に必要なポイントを押さえている。「魔女修行の要は、何でも自分で決めること」と表現している。他人がどう、ではなく、自分が考え、決めたことは(あるいはその行為)が重要である。ちょっと哲学的でもあり、現代で失われつつある部分でもある。
文庫本にはおばあちゃんの家から戻った後の1シーンが描かれている。この話があることで、まいには魔女の資質があるように思えるが、違う見方をするとセレンディピティ的な見方もできる。この作品が書かれた時にはセレンディピティシンクロニシティも話題になっている時ではないので、そこまでは意識していないと思う。が、そういう風に捉えても興味深く読める作品である。子供と大人が同じテーブルでこの本の真意を話し合えたら本当に面白いだろうな。