分かりやすいマスメディア崩壊論 「2011年 新聞・テレビ消滅」 佐々木俊尚

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)

本書が優れている点は次の2つのアプローチで統一されていること。

  1. 「マス」という概念は、もはや成り立たない細分化された趣向で構成されている
  2. 「コンテンツ」、「コンテナ」、「コンベア」という3つのレイヤーで説明しきっている

まず「マス」に関して僕の主観でいうと、結果的に「マス」のボリュームの販売が成り立つことはあっても、広告でのマス戦略は不効率になっていき、その結果、マスメディアの価値が下がっていくと思われる。つまり、TVにしても新聞にしても現状の単価は維持出来ないだろうが、このメディアでリーチできる層は残る。実際にネットはユーザ側はアクティブにアクションを起こさないとその情報にたどり着けないが、TVや新聞は接触さえすればユーザが無意識でも何らかの情報に触れることになる。ただし、それが即、購買に繋がり、指標化できるかどうかは別の問題である。そもそもネットでニュースなどをチェックする場合でも、何かしらの目的を持って見ているため、その目的に直接関係ないバナーやテキスト広告は無視される。が、新聞の場合には広告を含めて紙面としてデザインされているため、何らかの形で情報のインプットはされていると考えられ、また紙面は俯瞰してみるのに向いている(意識しなくても見ることが可能)。話はそれるが、電車の中の広告も通勤時に他にすることがないので効果が高いと言われた時代があったが、現在ではケータイのワンセグやゲーム、iPodiPhoneなどの普及によって意識されなくなってきていると思われる。
2つめの3つのレイヤーによる各メディアの分析は非常に分かりやすい。また新しく現れたメディアと比較する際にもポイントが明確になる(書籍とKindleなど)。この手法はメディアに限らず、他の領域でも応用可能だと思うので参考にしたい部分だと思う。まあメディアに限らず、何かしらの保護によって参入障壁が高かった業界は基礎体力が弱体化するのはある意味自然現象でしょう。人間の身体だって歩かずに車の利用ばかりであれば足腰は弱ってくるわけだし・・・・。

佐々木さんの主張は賛否両論ありそうだが、僕は素直に納得できる部分が多い。「社会」の構造変化による影響を違う切り口で見ると、「個人の仕事に仕方」になるのでしょう。「仕事をするのにオフィスはいらない」はまた別の機会に。