メモの目的は「とる」ことではなく、「実行」すること

iPhonecast2009 vol.025 「メモをとる」と「メモをみる」は等価 commonstyle - Twitcast

境さんの感性は本当に興味深い。今回の音声はPodcastでも配信されているけど、先にこのサイトでダイレクトに聴いて、思わず「そうそう」とつぶやいてしまった(決してTwitterで、ということではなく、リアルの話で)。仕事術を書いた本の多くは「どう効率的にメモをとるか」と「メモのとりかた」にフォーカスしている。が、メモはメモでしかなく、目的ではない。そう、手段なのである。今回のケースに限らず、目的と手段をはき違えて、手段の達成で満足していることが多い。が、実際に大事なのはその後のアクションである。
僕の中では「等価」ではなく、「メモをみる」の方がウエイトが大きいと思っている。これは僕の中で「棚卸し」と呼んでいる部分になる。例えば、会議の際にホワイトボードを使って説明や確認作業をするケースが多いのだが、そのホワイトボードの内容をケータイやiPhoneのカメラで撮り、Evernoteの取り込むことが多い。そうすると、何となくやった気になってしまい、実は会議後にやらなければいけないタスクがそのままになってしまう。僕も忙しさにかまけて、そういう状態の時もあった。「これでは如何!」と思い、その撮影した内容を敢えてもう一度テキストに起こす作業を実施している。作業自体は無駄な時間を費やすことになるけど、自分自身の中で内容を整理ができ、完全に「言語化」できるメリットがある。
実際のアウトプットや他者へのレビューを考えると、まず「言語化」でき、次に「図式化」できればほぼ完成形は見えたも同然になる。更に価値あるアウトプットをゴールにするのであれば、アウトプットの内容を「相対化」して表現できれば、かなりのものになるだろう。すべての作業にこの工程をするには時間が足りなくなるが、主要な案件やクリティカルポイントでは必要な作業になると考えている。この工程が「クセ」になるまで継続してこなすことが第一のハードルであり、境さんがいうところの「等価」を実感できるレベルだろう。