普通の定義

たまに最寄り駅のそばのラーメン屋さんでほぼ夜食のような夕食を食べることがある。そこは麺の硬さをオーダーできるようになっていて、僕はいつも「普通」とお願いする。過去に食べたことがあれば、それを基準に答えればいいんだけど、初めての場合って「普通」としか答えられなく、じゃ「普通」ってなんだろう、と考える。
おそらく「普通」=「大勢に支持される(あるいはマジョリティ)」なんだと思うけど、ラーメンの場合は簡単かもしれないど、いろいろな調査で見られる「普通」が結構微妙に感じる。全国で読まれる新聞のマジョリティは朝日や読売だけど、僕が勤める会社のマジョリティは「読まない」である。車を所有しているメンバーも少なく、両方の条件を満たす部分は本当に小さい。でも僕の実家の方に行ったら、新聞を読んでいて車を持っている人がマジョリティである。
ニュースなどでTVの新番組の話題があっても、僕の場合、ほとんどTVを見ないのでほぼ分からない(多少、ネットのニュースなどで知ることはあっても)。一方、僕の両親はネットを全く利用していないので、ブログなんてものは知らないし、理解する気もない。携帯電話は好きな時に利用する公衆電話としか考えていないので、ほとんど電源はオフである。
モノがたくさんあって、選択肢の幅もいろいろだから、そもそも「普通」というポジションが小さくなってきている、あるいは無くなってきているのじゃないかな。何が言いたいかというと、モノでもサービスでも「こんなものを始めたら、こんな人が利用してくれたり、買ってくれるのではないか」という「層」に向けたアプローチは通用しなくて、もっとターゲットを明確にしたもので、その人だけにリーチできれば満足、というものしか支持されにくいようになってきている気がする。最初からそう考えると妙な期待で裏切られることもないはずだし・・・・。