流れが変わるとき

洋服に流行があるようにその他のものや考え方にも流れが変わる瞬間がある。瞬間というと切り替わるタイミングあるように感じるが、実際には徐々に変化していつの間にか価値観が変わってしまっているという感じの方が近いだろう。
かつてJフォン(現ソフトバンク)の携帯電話にカメラが付いて話題になったが、当時は私も含めて「携帯電話にカメラは必要なし」派が多かったのではないだろうか。写真を撮るなら、デジカメを使えば良いだろう、思っていたら、今やカメラ付きでない携帯を探す方が大変、という状況になってしまった。
当時の携帯のカメラは本当におまけの位置付けだったが、カメラそのものの性能アップ、付加機能、画像を使った新たなサービスと引き摺られるように周りの環境も変化し、携帯電話のカメラは市民権を得てしまった。今となっては、無くなってしまうと困る人やシーンが予想以上に多いのではないだろうか。

携帯電話のカメラのように、価値観がいつの間にか変化しているにも拘わらず、気付かずに過ごしていると世の中の流れから取り残される感覚に囚われることがある。最近だとコンパクトデジカメのファインダー。いつの間にかデジカメとは背面の液晶を見て撮影するモノ、ファインダーが必要な方はどうぞ一眼レフを・・・・と商品は語っているような印象だった。

世の中から取り残されることが嫌なのではないが、世の中の多数と私個人の価値の位置関係は常に感じていたい。