手が行き届いた美しさ

誰しもが何か買い物をする時は楽しいと感じるのではないだろうか。私自身も何か新しいものを手に入れた時には満足感やうれしさを感じる。しかし、「もの」は時間と共に最初の色やツヤは劣化し、輝きは薄らいでしまいます。中には、「馴染み」あるいは「愛着」が生まれ、別の存在価値になるものもあるだろう。

娘が通うカソリックの幼稚園には本当に手が行き届いた「きれいさ」を感じる。たまたた他の幼稚園を通りすがりで見たらと、何となく違和感を覚え、改めて娘が通う幼稚園は人の手によって美しく維持されていることを感じた。どうすれば、美しく保てるのか分からないが、何となく分かるのは「きれいにしよう」として手をかけているのではなく、個人の領域のもの以外は、一利用者であり、使ったら元の状態にする、あるいは自分が反対の立場だったらどうなっているべきか、いう視点で対応されているのではないだろうか。そう、平たく言えば、手をかけている人の心を感じる気がする。

私自身、整理・整頓は大の苦手の部類であるが、心がけ次第で「きれいに使っていく」ことは出来るのはないかと感じ、子供たちにもそういう心を持って「もの」に接して欲しいと感じた瞬間だった。もしかしたら、他の幼稚園を見なければ当たり前に感じていた「美しさ」を感じられたことは幸せかも知れない。